特別寄稿=「絶賛される日本のおもてなし」=秘訣は入念な配慮と徹底した手入れ=ヴィラカロン在住 毛利律子

 3年ぶりの日本への一時帰国で現在日本に滞在中であるが、今回の旅行では、入国直後からいたるところで目が覚めるような文化度の高さ、「手入れときめ細かい配慮の行き届いたおもてなし」を堪能した。
 そして何よりもありがたく感じたのは、日本特有の四季の変化に応じた風景をより美しく見せようと、入念な手入れが施されているということ。
 たしかに、これは外国人観光客が驚き、絶賛するのは当然だ。伝統的縦社会において全国的にどの地域でも徹底して統率された管理のもと、何事も常に理想とする状態を維持することが守られている。この精神は何から生まれてくるのか、日本特有の精神性を再考する機会となった。
 帰国当日の羽田空港でまず感心したのは、待ち受ける職員の洗練された美しい笑顔。丁寧適切な日本語とキビキビとして迅速な対応。そして、空港待合スペースの明るさ、通路、トイレ、荷物運搬用のカートにに至る隅々にまで清潔さが行き届いた様子に感銘を受けた。
 実は、今回の帰国に当たっては、日本への入国のために、厚生省の「マイ・SOS」というアプリへの個人情報登録作業、要するに新型コロナ水際対策等の登録を含めた情報を携帯電話に登録して通関の際に提示しなければならない、ということであった。
 そのために出国前には実に煩雑なことが多く、しかも何かにつけ自力で処理する「自己責任」を迫られることから、以前のように旅行社にお任せということが通用しない時代になった。
 結局、Z世代、いわゆる、現役高齢者にとっては孫世代(生まれた時からデジタル機器を使いこなしている)に助けてもらい手続きが完了した。しかし、入国時には緩和対策が取られ、準備周到に用意したワクチン接種アプリなど必要なかった。
 日本人の職員からは恐縮するほど丁寧な説明を受けた。経由地シカゴでのぶっきらぼうな通関職員の態度、ターミナルの薄暗さ、到着時間が早いという事情もあるだろうがトイレ等は汚れていた。フードコート、売店等々、日本のそれとは雲泥の差を痛感したのである。

裏方の姿が見えない清浄さ

 最も強く感じたことの一つは、これほどの清潔さを保っている空港施設内に、清掃員の姿がまったく見えないことだった。待ち時間で何度かトイレなどを使っているが、そのたびに洗面台はきれいに拭かれ、屑籠のごみは残っていない。錯覚か?あるいは、前に使った人が洗面台を拭いてくれたのか。外国では、そのような場所には必ず清掃員がいて、しかもウロウロ歩き回る。作業もぞんざいである。
 これほど手入れが行き届き、きめ細かい配慮が成されているにも関わらず、清掃員の姿が見えない。きっと裏にいるはずであるが、姿を見せない。夜間だからであろうか。しかし、このような体験は国内を移動する中でたびたび経験することである。
 以前、あるテレビ番組で空港の女性清掃員の仕事ぶりを追ったルポルタージュを見たことがあるが、その気配り、高度で洗練した清掃ぶり、そして何といっても「見えないところでする労働」に、誇りをもって勤めている姿に心から感動した。
 「裏方」というと、歌舞伎の黒子と同じで、顔を出さず、地味で、日の当たらない、面倒くさく、汚い力仕事に携わっているような悪印象、偏見が伴うが、実は、社会的に最も重要で、かつ専門的な能力を持つ人々の集団である。
 それは、すべての分野に及び、この専門的陰の力無くしては、高度な文化社会造りはできない。姿を現さず、目には見えないけれど、専門家集団の力が結集して、見事な結果を作り出す。
 一般人は、それが当たり前と思って接している。いつ訪れても、いつもと同じ丁寧なもてなしがある。桜や紅葉の季節も、風景、食事処や名所旧跡も手入れが行き届き、以前のあの時と変わらない。
 態々出かけていったのに、かつての名所は朽ち果てようとしている、ということはまずありえない。そういうことも、外国人が日本を絶賛する理由であろう。
 国や自治体が出来ないのであれば、個人が手入れをする。そういう習慣が、日本人の生活の中に生きている。外国の事情とは安易に比較できないが、そのような精神性が誰となく、いわずもがな、以心伝心で継承されているのである。
 観光地に限らず日常生活の中でも、あちらこちら人の集まる場所、そうでない場所を誰かがキレイにしてくれているなあと感じる。
 一般的には当たり前の行為として、自分のごみを持ち帰る、拾う、捨てない。使った物品の後片付け。汚した場所を拭く、といった躾が失われていない。日常のゴミ出しについても、徹底したゴミ選別など、ブラジルでの生活ではそういうことがすっかり鈍感になってしまった。
 一般的に、「裏方・黒子」として、日本の清潔文化を支えていると思うと何だかうれしい気分になった。

自然は生みの親、育ての親は生産者

 今回、北は東北岩手の旧知の宮沢邸を訪ねた。宮沢賢治の旧家であり、実弟・故宮沢清六氏の一人娘潤子さんは高齢であるが、とても若々しく健やかであった。お互いコロナにも負けず元気でいることを喜び合い、旧交を温めた。
 翌日、ご主人の宮沢記念館館長が去年亡くなられたこともあり、長男和樹氏ご夫婦と共に菩提寺とお墓参りに詣でた。賢治ファンが後を絶たず墓参りをするそうであるが、一帯は整然としてゴミ一つ落ちていない。
 私たちは終日、賢治ゆかりの場所を散策しながら和樹氏の解説を拝聴しつつ、百年に及ぶ歴史をより深く知ることができた。
 良く晴れ渡った花巻の風景は、東北特有の晩秋の雲波、山は碧く、「賢治の畑」の横を流れる北上川の水は清く透明であった。
 賢治がいう「いま裏の畑に居ます」というこの畑は、現在、和樹氏や小中学校の生徒、町民によって守られ、賢治が植えた時の野菜が改良されながら育てられているという。「自然は生みの親、育ての親は生産者」という思想が脈々と受け継がれているのである。この風景は何十年、何百年経ってもきっと変わらないであろう。
 ちなみに若奥様は花巻南高校の国語の先生だが、今や時の人・アメリカ大リーグの大谷翔平投手と菊池雄星投手は教え子である。花巻南高校後者には大きな垂れ幕、体育館の前には二人の手形のプレートが飾られ、その功績を讃えていた。自分の手と比べてみるとなんと大きな手のひらであろう。皆、童心に帰って大きさ比べをした。
 世界は2020年のコロナパンデミックに続いて、あからさまなロシアによるウクライナの侵略戦争が勃発。予想だにしなかったまさかの出来事は、それまでの日常生活を一変させた。
 そして今、感染対策が緩和され、全国的に各地が大いににぎわい、街の姿が変化し始めている。それにつれてコロナ後の心機一転の都市計画によるのかどうか、街全体が新しいと古いとにくっきりと分かれた感じがするのも印象的である。
 島全体の姿が一変したと感じたのは沖縄であった。沖縄は「土地区画整理事業」で、市街地の街並みが一変した。昔の曲がりくねった道路や狭い路地を無くし、多くの宅地が、広い直線道路に面し形の整ったものとなった。境界も明確になり、道路の両側には立ち退きで新たに建った豪邸が立ち並んでいる。その中に古い独特の伝統的赤瓦屋根の家がちらほら残っているが、昔の場所を見つけることはできない。
 地名は残っているが、名残はない。伝統食文化の宝庫だった公設市場、公的な建物、空港に繋がる海岸沿いもすっかり変化した。大規模施設、ホテルは本土企業ばかりである。
 最南端の与那国島に至っては、人口が激減する中で自衛隊基地の本格的建設計画が進んでいるらしい。本島で進む都市開発事業の裏話、コロナ禍での支援金の問題や、東シナ海に起きている何かとキナ臭い話を耳にすると、ロシアがしたような侵略戦争が起こらねば良いが、人々の平和な生活が失われることが無いようにと、心から祈らずにはいられない。
 奇遇なことに、日本とブラジル両国に住んで共通する感慨は「自然は生きとし生きるものの親である」ということだ。両国の風景はどちらもひけをとらない美しさである。そして日本もブラジルも非常に豊かな食生活を享受している。それは「人間の育ての親」の生産者のお陰であることは間違いない。
 日本の生産者は自分が作り出すものに非常にこだわった手入れをする。そのため、確かに高価になる品もあるが、道の駅などには生産者の自信満々の顔写真とともに、輝くような生鮮食品が並んでいる。それをみているだけでも、どれほど消費者を幸せにすることか。

「世の中はいつまでも穏やかであってほしいものだ」

 今年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』もいよいよ佳境に入り、あと3回で終わる。わずか3代目で滅んだ頼朝の直系、第三代目将軍実朝の悲痛な末路には運命とは言え、痛切であった。
 その実朝が「世の中はいつまでも穏やかであってほしいものだ」と切実な願いを込めて歌を詠んだ。彼は、第一級の歌詠みの人として知られている。
 正岡子規は、
 「実朝といふ人は三十にも足らずで、いざこれからといふ処にてあへなき最期を遂げられ誠に残念致し候。あの人をして今十年も活かして置いたならどんなに名歌を沢山残したかも知れ不申候。とにかくに第一流の歌人と存じ候」(『歌よみに与ふる書』)
 と、実朝中夭(若死(わかじ)に)への痛恨の意を述べている。
 この代表的名歌は次のように詠われている。

世の中は 常にもがもな 渚こぐ あまの小舟の 綱手かなしも(『新勅撰集』)
【意味】世の中は、いつも変わらずにあってほしいものだ。渚を漕ぎ行く漁師の引き綱をみると、(毎日変わらぬ穏やかな日常の営みに)胸が打たれる(胸を突き動かされるような)感情があふれるのだ。

 実朝の歌のように、世の中がいつまでも変わらず平和であってほしいと祈るのは皆同じである。たとえどのような世の中になっても、それまでの日常生活が続けられなくなっても、その時、その場で、自分にできることと言えば何があるだろうかと考えてみる。
 自分だけ良ければいいという自己満足を捨て、自分だけでなく、人を喜ばせる術は何かを、試行錯誤してみる。自分も何かの生産者になれないだろうかと問うてみる。共に安心、充実を感じられる日常を生産しよう。心からもてなす工夫を考え実行しよう。こういうことは、できそうでなかなか簡単にできることではない。
 こんなことで平和が続くなどとは、荒唐無稽、お粗末と笑われるかもしれない。しかし、個人ができることは微々たるもの。人生訓として心に刻みやってみる、考えてみる価値は大いにあるかもしれない。
 この度の帰国で、いたるところで垣間見た「おもてなし精神」から、つくづく学んだことである。

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