《記者コラム》黄色と緑に本来の意味戻る=せめてW杯では心を一つに

黄、緑、青で飾られた街(Fernando Frazao/Agencia Brasil)

 統一選の決選投票直後、やっと心置きなく黄色と緑で街を飾れると喜んだ人達がいた。15日のサンパウロ市3月25日街は国旗などの応援グッズを求める人達で賑わった。W杯が近いからだ。
 だが、今年ほど黄色と緑が対立を生じさせた事はない。投票日に黄色と緑の服を着る事の是非を裁判所が話し合ったのも初めてだ。
 W杯ではブラジルやブラジル代表を愛し、応援する気持ち故に黄色と緑の服を着、国旗や黄色と緑で彩られたグッズを手に、黄色い(?)声を上げる。贔屓のチームは違っていても、ブラジル代表を応援する気持ちで一つになるのだ。
 普段の試合には目もくれない人が、テレビにチャンネルを合わせて試合に熱中するのもW杯ならでは。移民ならば、母国とブラジルの試合の日は、どちらを応援するかで悩む人も出てくる事だろう。
 決選投票前に周りを憚りながらW杯用の飾り付けを始めた人達は今、周りの目や批判を恐れず、堂々と道路や電柱などを塗ったりできるようになった。
 それにしても、何故に黄色や緑が政治の道具になったのだろう。宗教や勝敗も然りだ。以前、代表チームがオウン・ゴールで負けたため、相手に点を献上した形になった選手が殺された国があった。勝敗がスポーツの本質を見失わせた例だ。イデオロギーの違いなどが国や神、隣人を愛する気持ちを凌駕するのは本末転倒だし、国を愛し、神や隣人を愛する事が互いの間の溝を埋めると信じたい。
 無論、W杯が始まっても試合には関心を示さない人や周囲の喧騒を嫌う人もいる。選挙ならば棄権や白票・無効票にあたるだろう。
 米国の中間選挙では野党が議席を増やす事が多い。現状で良いと思う人は投票に行かない事もあるし、現状に不満を覚える野党支持者は積極的に投票に行くからだ。だが、双方に不満があると、少しはましな方を選ぶか、棄権または白票・無効票を投じるしかない。
 統一選では棄権した人や白票・無効票を投じた友人達がそれなりにいたし、消去法で多少ましな方を選んだという人も多かった。
 極端に二極化した選挙の後のW杯。飾り付けや応援にもルールがある事を忘れず、黄色と緑で愛国心を紡ぎ、国が一つになる事を願っている。(み)

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