
2024年4月下旬から5月上旬に降り続いた豪雨により、リオ・グランデ・ド・ル州は歴史的な大水害に見舞われ、州内の95%に相当する471の自治体が甚大な被害を受けた。183人が死亡、27人が行方不明となり、約7万3千人が住まいを失った。この未曾有の災害から間もなく1年が経過しようとしている。
被災地では今なお多くの人々が避難所生活を余儀なくされている。住居の再建、医療・教育・衛生といった基礎的公共サービスの不十分さ、災害後の水質悪化や不安定な電力供給も、被災者にとって日々の深刻な課題だ。復興の歩みは緩慢であり、生活環境は厳しい状況が続いていると、20日付のG1など(1)(2)が報じた。
洪水による影響は交通インフラにも深刻な影響を与えた。幹線道路や橋梁、連絡路などがすべて浸水し、影響を受けた道路の総延長は1万3千キロを超える。これは直線距離に換算すると、リオ・グランデ・ド・ル州からオーストラリアに達するほどの距離に相当し、被害の広範さを如実に物語っている。
タクアリ渓谷自治体連盟(AMVT)によれば、23年と24年の洪水で、少なくとも80本の道路や小規模橋梁が破壊された。そのうち10本は民間企業によって再建され、AMVTによると、新しい橋の建設費用は1本あたり約80万レアル(約2千万円)であり、各自治体は橋の接続道路を作るために約6万レアルを要するという。復旧作業は今も続いており、被災地域の完全な復興にはなお時間を要するとみられている。
19日に放送されたRBS局のドキュメンタリー番組「リオ・グランデ・ド・ル州大洪水から1年」では、被災者の一人であるミレーネ・ベルトルさんが、3人の子どもと経験した避難生活の過酷さを語った。ミレーネさんは、ポルト・アレグレ大都市圏にあるカノアス市で、この1年間に七つの避難所を転々とし、「行き場を失い、プライバシーも皆無。食事を作ることもできず、落ち着いて眠ることもできない。子どもとテレビを見ることすら叶わない」と生活の苦しさを切実に訴えた。
彼女が住んでいたリオ・ブランコ地区の家屋は現在立ち入り禁止。その数キロ先には新しい住宅の建設が進められている。だが、多くの家屋では上下水道などの基本的インフラが整備されておらず、住民たちは生活環境が整う日を待ちわびている状態だ。
カノアス市のアイルトン・ソウザ市長によれば、建設中の仮設住宅は5月1日までに入居可能となる見通しであり、今後進められる不動産開発により、被災者が最終的に恒久的な住まいを手にすることができるようになるという。
一方、タクアリ渓谷一帯の自治体は23年にも洪水被害を受けており、翌24年の豪雨ではさらに甚大な被害を被った。中でもムスン市の被害は深刻で、市のほぼ全域が水没する事態に。このような状況を受け、ムスン市では高台に新たな住宅地を造成し、安全な居住環境の整備を進めている。
すでに同地区には木造の新築住宅13棟が建設され、住民らが入居を始める。これらの住居を取得するには、被災者が元の住居を市に譲渡し、危険地域への再定住を行わないという条件が課されている。この措置は、将来的な災害の再発を防ぐと同時に、危険区域の再占拠を抑止することを目的としたものだ。
新住民の一人、ロレシ・デ・アウメイダさんは「平穏と静寂には代えがたい価値がある。今は買った家具を安心して置ける。以前は家具を買っても、どれだけもつか分からなかったから。でも今は安心して暮らせるのです」と新生活の喜びを語った。
なお、州政府が提供する「購入支援」「社会的家賃」「連帯保証宿泊」などの制度は、手続きの煩雑さや基準の不透明さから多くの被災者が利用できていないとの批判もある。被害の程度や支援の対象者が曖昧なため、多くの人が「公式な被災者」として認められず、支援を受けられないケースも発生している。