小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=78

 田倉は晩酌をちびちびやりながら愚痴めいたことを言った。飲みすぎると家族に悪態をついたりもするが、適度の酒は彼の頭の回転を良くした。
「もう二、三年頑張って戦争が終ったら日本へ帰るつもりやったけど、この調子じゃあかん。ブラジルに住み着くんだったら、もっとこの社会に溶け込めるよう努めるべきだった。俺の考え方はあまり利口でなかったようだ。以前、或る機関からの奨励による《育英制度》があって、息子の奨学を勧められもした。しかし、俺は百姓に徹するため、それを断った。今考えるに、お前たちの教育もおろそかにしてしまったようだ」
「戦争が巻き起こした悲劇でしょう。お父さんの責任じゃないわ。最初入った耕地には学校は無かったし、次の植民地では、遠すぎた。その後は戦争で日本語学校の閉鎖になってしまったよね。それでも浩二は夜学で結構日本語も達者になったし、ブラジル人ともうまく付き合っているから、これからのブラジルの社会に充分通用する青年に育ったと思うわ」
 弱音を吐いている父親に、律子は同情と励ましを込めて言った。
「そうやな、律子も浩二もようくやってくれた。これからは方針を変えて大地に根を降ろさなきゃいかんな。第一、律子にいい青年を……」
「何言ってんの。私より浩二に、そろそろ誰か見つけてやらなくては」
「俺としては、二人とも日本に帰ってからの縁結びをと考えていたんだ」
「何だか今日の話は湿っぽいわ。日本が負けたからって、私たちのせいじゃないのに」
「律子も利口になった」
 田倉の酒は度を過ぎつつあった。長男の浩二は親父の酒談義は好きではなかった。
「何を解りきったこと言ってるんだい。それより今夜のジャンタ(夕食)は、ちとまずいぜ」
 いつもは寡黙で、温和な浩二なのに、親父と律子の会話が煩わしいのか言葉に棘があった。
「味がないのは材料のせいよ。この前からシッケイロ(豚の飼育場)の一頭を屠殺しようと言ってたけど、どうなったの」
 母親のはぎは浩二に気を遣って優しい声を出した。
「浩二は肥ったのを潰そうと言ってたのに、日本が戦争に負けたことで仕事が手につかず、何も彼もおあずけね。それでおかずが不足してるんだわ」と、律子きびしい。
「戦争のどさくさで、豚が永生きしたわけだ。一方で悲しみ、他方で喜ぶ奴もいるってことだ」

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