男女デュオ「くるみの樹」=大阪拠点に昨年から活動再開

大阪市内の老舗喫茶店「マヅラ」で歌う「くるみの樹」の2人。左から、やまのはさん、国谷さん(10月10日撮影)

 【大阪発・松本浩治記者】コロナ禍も収まりつつある中、約5年ぶりに一時帰国できた去る10月10日、大阪市内の老舗喫茶店「マヅラ」(北区梅田1-3-1)で毎月1回ライブ活動を行っている男女デュオ「くるみの樹」の国谷幸生(くにたに・ゆきお)さん(75歳、大阪府出身)と、やまのは・かずみさん(67歳、大阪府出身)の2人に再会する機会を得た。
 国谷さんは、1998年から約20年間にわたって毎年のようにブラジルを訪問していた日本の歌手・井上祐見(ゆみ)さんのオリジナル曲『ソウ・ジャポネーザ』『オブリガーダ笠戸丸』を作詞した人物でもある。
 関西学院大学時代にクラシック・ギター部に所属し、卒業後は大手広告代理店に勤務するなど、多忙な日々を過ごしてきた。50代になった時に、20代前半から知り合いだった作曲家の藤山節雄氏(故人)と再会したことをきっかけに、好きだった音楽活動を再開した経緯がある。
 やまのはさんは、2年前に94歳で他界した母・山端(やまはた)千代さんがサンパウロ州ジュキア線イタリリで生まれた日系2世という出自を持つ。千代さんは太平洋戦争が始まる前年の1940年、13歳だった時に親に連れられて沖縄県へと戻り、その後、大阪に出た。大阪で生まれたやまのはさんは、幼少の頃から千代さんがポルトガル語を話す姿を見聞きしてきたが、生前、母が日常的に口ずさんでいた「オーソレ レスポンタール コンビダール」という一節を数年前にオリジナル曲として作った。
 いまだに言葉の意味は分からないというが、母が歌っていたメロディが、やまのはさんの脳裏に焼きついて離れず、ずっと曲にしたいと考えていた思い入れのあるオリジナル曲だ。
 2010年に結成した「くるみの樹」の活動は当初、月3回の割合でライブ公演活動を行い、喫茶店「マヅラ」でも毎月第2・第4火曜日の夜に「忘れられない歌がある」をテーマに、懐かしいフォークやJポップス、洋楽の弾き語りによる歌声を披露してきた。しかし、コロナ禍の影響で2020年からの約2年半は活動停止を余儀なくされ、昨年10月からようやく少しずつ再開してきたという。
 5年ぶりに再会したこの日の2部にわたる公演では、1970年代のフォークを中心に『オブリガーダ笠戸丸』やオリジナル曲の『オーソレ レスポンタール コンビダール』『HOT MILK』など計約15曲を熱唱した。
 国谷さんは「コロナ前は仕事帰りの年輩サラリーマンがよく(公演を)聴きに来てくれていたけど、コロナが明けてからは若い人が増えたね」と感じており、「最近は昭和の歌がまた流行ってきたので、そうした若い人たちに昭和の歌を聴いてもらえたら」との思いも込めて活動を続けている。その一方で、「あと5年で80歳になったら、歌を止めて詩人活動を行いたい」との夢もある。
 一方のやまのはさんは、「将来的に自分の店(飲食店)を持って、そこで歌いながらやっていけたら」と話しており、2人の思いは今も尽きない。
 「くるみの樹」のホームページはhttp://kuruminoki.work/

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