ノマドで旅しながら日本語教師=(下)=ネットが広げた生き方の幅

 2021年の年明けはイギリスのストラトフォード・アポン・エイヴォンで迎えた。同地はシェークスピアの故郷として有名だ。ここに元生徒がいる。
 イギリスへは飛行機で行くはずだったが、デルタ株の流行で前日にフライトがキャンセルとなった。仕方なく、列車でフランス経由で入国した。
 イギリスに日本人はビザなしで6ヵ月滞在できる。6ヵ月のイギリス滞在後、ちょうどスペインが入国規制を緩和したので、2度目の語学留学も兼ねて、6月から8月初旬までカディスに滞在。8月初旬から9月初旬までは、場所をサラゴサに移してスペインを満喫した。
 その後「せっかくスペイン語を習っているのだから」と初の中南米行きを決意。彼女の旅の基本は拠点となる町に住み、そこからその国の観光地を回るというスタイルだ。
 初の中南米で、不安もあるからと、友達がいるメキシコ・グアダラハラに拠点をおいて4ヵ月間ほどを過ごした。その後、2ヵ月間はベラクルスの町で過ごした。この町はスペインが初上陸したという土地だ。
 コロナ禍のため、ワクチン接種を行いたかったが、メキシコではそれが叶わなかった。エルサルバドルなら打てるという情報を得て移動。エルサルバドルでは、旅行者にも比較的簡単にワクチンを打ってくれ、ファイザー社製のワクチンを2度接種した。コロナ禍が始まって約2年が経ってのことだった。
 エルサルバドルに2ヵ月ほど滞在した後、マチュピチュへ行こうと誘われ、ペルーへ行くこととなった。しかし、寒い所が苦手な温子さんは5月の冬のペルーを心配し、北部で比較的温かいというピウラという町を選び8月まで滞在した。そこを拠点にクスコ、マチュピチュ、アマゾン方面を観光し、コロンビアへ向かった。コロンビアでは日本語教師と交流などをして、約3ヵ月間を過ごした。
 2022年11月26日にはコロンビアを出て、アルゼンチンへと向かった。ちょうどサッカーW杯の時期で、アルゼンチン対メキシコ戦を経由地のパナマで観戦。本来は飛行機の中で携帯は使えないのだが、試合を見ることができた乗客が、わざと通路側でみんなが見れるように携帯をずらして見せてくれたという。乗務員も見て見ぬふりをしてくれて、機内はとても盛り上がっていた。
 「次に上陸するアルゼンチンが勝ったので、本当に良かった。もしも負けていたら、お通夜のようなじゃないですか。そんな所へ上陸したくなかったから…」と笑う。
 アルゼンチンではコルドバを拠点にパタゴニアやメンドーサ、ブエノスアイレスなどを観光した。
 年が明けて2023年2月13日にカーニバルを見るためにブラジルに上陸した。初のポルトガル語圏だ。
 リオ・デ・ジャネイロに到着早々は、CPF(納税者番号)が無いために携帯電話のSIMが買えなかったり、配車アプリ「Uber」で行き違いが起きてタクシーに乗れなかったり、旧市街地に宿泊したため、深夜まで騒ぐ若者の喧騒に煩わしさを覚えたりとブラジルの印象は悪かったという。

サンパウロ市で食事をした日本食レストラン「喜怒哀楽」で偶然、山形県人会長の佐藤マリオさん(後列左)と会い、山形の話で盛り上がった。

 だが今は、「食べ物も美味しいし、人も親切。1年ぐらい過ごしたい程ブラジルは好き」と笑顔で語る。
 サンパウロでは「『なんちゃって』ではない、本物の日本食が食べたい。数年ぶりの日本食ですから」とリベルダーデの日本食に期待をかけ、寿司やラーメン、刺し身を堪能した。
 「今年はイタリア語を勉強したいし、10月にはスペインで、スペイン語の検定試験を受けるつもり」と年内の予定を語る。
 サンパウロに5日間滞在し、アチバイアも訪問。5月7日には次の目的地・アルバニアに向けて旅立った。アルバニアはイタリアの海を挟んだ対面にある。
 ほとんどの滞在先でバレエを習い、アカデミア(ジム)に通い、マッサージを受ける。常に目的意識を持ち、きちんと計画した上でノマド生活をする温子さん。インターネットというかつては無かった道具が生き方の幅を広げてくれているのが伝わってきた。(おわり、大久保純子)

サビアの独り言

 ノマドの沼澤温子さんの生活ぶりを聞いた84歳の独身移民女性は「私も当時は来る必要もないのにブラジルへ来て『ずいぶん変わった人』と言われたけれど、時代は変わったわねぇ」とその働きぶりの変化に感嘆。移民女性の父親は毎日新聞の役員。短大卒業後、山本喜誉司さんが受け入れ先であったとか。(純)

最新記事