特別寄稿=ムラ社会と決別し、個を大切にする日本へ=千葉県浦安市在住  森本昌義

ムラ社会における集団主義の成り立ち

昔の田植えの風景(katorisi, via Wikimedia Commons)

 6月11日付のブラジル日報の伊勢雅臣氏執筆の「国際派日本人養成講座」では、渡辺京二著『逝きし世の面影』、渡辺尚志著『百姓の力 江戸時代から見える日本』から引用しながら、江戸時代の村落共同体は高度な自治と助け合いによって、人々の本当の幸福の姿を実現した、と説かれています。
 江戸末期の総人口は約3200万人、85%が農民で村に住み、ほぼすべてが日本の風土に見合った水田稲作に従事していました。平均的な村の人口はおよそ400人、全国で6万強の村が存在したのですが、相互扶助と相互牽制(監視)を目的として、村の中で数戸ずつまとめて五人組を編成しました。なお、田畑は完全な個人の所有ではなく村の土地として自治に任され売買は原則禁止であったということです。
 コメは主食でしたが、同時に財貨の多寡をあらわし主要な通貨でもありました。江戸時代にはいり各大名のもとで新田開発がすすめられ、全国の生産量は1億石を超えるようになったようです(1石は1人が1年に食べる量に相当する約150Kg)。大名の領地の広さは石高で表され、農民の納税はコメで、武士の給与も石高で決められコメでの支払いであったので、つまるところ生活全般がコメに縛り付けられていたわけです。
 インドや東南アジアなどモンスーン地帯でもコメは重要な食糧ですが、彼らの伝統的な稲の栽培は“浮稲農法”(Floating rice harvesting)で、乾季に川岸にある田んぼに種を直蒔きして、雨季に入り水位が上昇するにしたがって穂先が水面から出てコメが実り、船に乗ってイネを刈り取ります。
 したがって次に述べるように日本のように緻密な計画や集団力を必要としません。またタイなどでは年に3回収穫できますが、日本では1回きりです。なおブラジルは日本を上回るコメの生産量を誇りますが、大部分は降雨に依存し生産量が不安定な陸稲が主体です(南部では安定した水稲が見られます)。
 水田のための水は雨と河川に依存しますが、日本の川は急流であるため、溜池を作り、田んぼに水を引くための水路整備が必要で、そのためには集団力は絶対に必要です。
 タネを撒く前に村の集落総出で水路を整備し、田んぼを耕し、苗代を作る。タネを蒔いて苗を作り、4月下旬から田植えをする。作業はその時期に集中するので関係者全員の合意に基づく時間と集団の管理が必要です。
 イネは雑草に弱いので常に雑草を取り除き、苗の発育に合わせて田んぼの水位を調節しなければなりません。これにも全員の同意が必要です。いつ来るか分からない台風にも備え、ようやく9月下旬ごろに収穫が始まることになります。
 つまり、日本の稲作は村の人たち全員の合意に基づき作業を計画し、共同で作業することを前提としているわけです。また全員が同じ体力でないし作業に上手下手もあるので、お互いに助け合う(適度に)ことが期待されました。
 なお、このような村落共同体を私は「ムラ」と表現し、そこでの行動様式を「集団主義」と呼びます。
 ムラの合意や規律に従わない家は、火事と葬式以外の付き合いを断たれる「ムラ八分」の制裁を受けました。江戸末期に黒船が来るまでは大きな社会・経済の変化はなく、人は先祖や両親と同じ村で生まれ成人し家族をつくったのです。
 全く隣人と同じ生き方を繰り返すことができたわけですから、とくに個人的に野心を抱かなければ、伊勢雅臣氏のおっしゃるように、人々はストレスなく幸せな日々を送っていたことでしょう。

現代企業にも残る集団主義の空気

会議をするスーツ・作業着姿の男女(FineGraphics、写真AC)

 日本では欧州や中近東で頻繁に起こった他国からの侵略や民族の移動などは全くなかったので平穏な日々が続いたのですが、同時に多様な人たちや価値観が存在するのだ、ということについては全く無知の均質的な社会でありました。
 終戦後、工業化・都市化が一挙に進み、水路整備が公共事業で行われ農作業の機械化も進んできましたが、それでも1955年頃の9千万人の総人口のうち3635万人が農家の所帯員でありました。
 稲作が重要な産業でなくなった現代においても、何世紀にもわたって水田稲作と、それを支えるムラ共同体で培われた集団主義が、日本社会に存在するいろいろな組織の運営に引き継がれ、日本人とその社会の特質を形成した、と私は考えます。
 最初に紹介した渡辺尚志氏も『百姓の力』の中で、「私たちは江戸時代の社会の特質を深いところで受け継いでいる (中略)現代の日本人の代表的な行動特性に、狭い人間関係のなかでの評価には非常に敏感で、過剰なほどまわりに気を遣うという点が挙げられ (中略)自分の本心を隠してでも周囲から浮かないことを心がけ、場の空気を読んで行動し、集団の和を重視するのです」とおっしゃっています。
 日本は終戦後、奇跡的な経済成長を遂げ、アメリカの社会学者エズラ・ヴオ―ゲル(Ezra Vogel)が『Japan as number One』を著し(1979年)日本人がちょっと得意になったことがありました。
 それ以前にやはりアメリカの経営学者ジェームス・アベグレン(James Abegglen)は、いくつかの日本企業を調査した結果、日本企業の発展の源泉は欧米の企業にとっては全く異質な「終身雇用」「年功序列」と「企業内組合」にあることを突き止めました(『The Japanese Factory』1958年)
 渡辺尚志氏はさらに「大企業の組織形態を含む現代人のライフスタイルにも、全く無縁に見える江戸時代の村の原理が、実は密かに、あるいは色濃く息づいているに違いありません」と述べていらっしゃいます。
 私もまったく同感で、欧米との対比において、集団主義のあらわれと考えられる日本企業経営の仕組みや慣習は次のようなものでしょう(社長のリーダーシップが強い新進気鋭の企業や外資系では例外もありますし、大企業でも段階的に変えることをめざしているところもあります):
*幹部候補生である正規従業員の雇用は、直接職務の遂行に結び付いていません。入会資格が厳しいクラブの会員になるような、いわば“メンバーシップ型”雇用で(まさに「入社」です)定年までの雇用が保証されています(終身雇用)。一方で、工場での単純労働や単純事務・サービス作業については非正規社員や雇用期間を定めた労働者を“JOB型”雇用します。
*正規従業員の採用は翌年に高校や大学を卒業する学生(いわゆる新卒)を一括採用します。初任給は前歴に関係なく一律で、その後の給与や昇進は職務遂行評価よりも年功序列による割合が大きいのが普通です。

労働者一人一人の能力が問われる時代に(craftbeermania、写真AC)

 最近ではITや新しい技術、経営管理などの分野でどうしても経験者が必要な際には、他社からの転職者や外国人を受け入れることが増えていますが、彼らがその職場の暗黙のルールや慣行にも慣れ、実力を発揮するのは容易ではありません。そこに多様性に寛容でない日本社会の一面が見られます。
*企業組織内での人間関係は、年功や地位が上位の人が部下に対して業務上の指示を超える全人格的な支配力をもつのが普通です。これが中根千枝教授の指摘で有名になった「タテ社会」です(中根千枝著『タテ社会の人間関係』1967年)。
*従業員の評価に際しては、業績や能力よりも他のメンバーとの協調性や会社の指示命令に従順であることを重要視します。
*予算制度があっても権限移譲は少なく、意思決定は本社取締役会が中心です。意思決定はほぼ全員一致が原則です。そのため事前の根回しが重要です。意思決定会議ではほぼ前例主義と「空気」が支配します。成功を目指すよりも失敗するのを恐れる(メンバーシップ型雇用では敗者復活の門は狭い)ので前例墨守になりがちであるし、論理的な討論よりも情緒的な均質性が大事にされます。

過去の成功体験に囚われて、経営環境変化への対応に遅れ

IMDの国際経営開発研究所が発表する競争力指標で日本は2020年34位、21年に31位、22年に34位(同報告書27頁、https://www.imd.org/centers/world-competitiveness-center/rankings/world-competitiveness/)

 1990年頃から来日し一時は30万人以上を数えた日系ブラジル人の多くの方々が、職場で自分たちは差別されていると感じたのは、非正規従業員として扱われたからです。なお、企業のグローバル化に伴い、優秀な人材、とくにITや先端技術者は自分を優遇してくれれば母国を離れどんどん外国に移住するようになり(移住先の政府の支援を受けることが多い)、世界規模で人材確保競争が起きています。
 しかし、日本企業は正当に評価してくれない、と日本を敬遠するむきが多い、と聞きます。
 上掲の日本企業の仕組みや慣習は、変化の少ない環境で繰り返しの多い安定的な経営をするときには助けになるものです。5S(※1)やQCサークル(※2)、提案制度などによる地道な改善努力、納期を守るための長時間労働なども従業員に支持されました(なお、日本特有の企業別労働組合も集団主義の延長上にあると私は考えています)。
 これは戦後の復興期を経て20世紀終わりころまで、製造業を柱に輸出で稼ぐ日本経済の原動力となるシステムでした。1980年までにGDPは世界2位を誇り、国民一人当たりGDPでもルクセンブルグ、スイスに次いで3位でした。ところがその後は日本の経済は成長していないに等しいのです。
 過去40年で日本のGDPは2倍ちょっとになりましたが、カナダや米国では7倍、イタリアは8倍、フランスは5倍、ドイツでも4倍に拡大しました(ブラジルではドルベースの購買力平均で5・5倍)。
 日本の時間当たりの労働生産性では今やG7の中では最低です。IMDの国際経営開発研究所が発表する63カ国の競争力指標では1990年代のはじめには日本は1位でしたが、2021年には台湾や韓国にも抜かれて30位以下に落ちました。なぜ日本は凋落したのでしょうか。
 20世紀末からグローバリゼーションが進展し、デジタル/先端技術が製品サービス、経営システムにどんどん取り入れられ世界経済は拡大しました。いろいろな場面でゲーム・チェンジャーが出現しました。
 経営環境が刻々と変化し、各国の企業はそれをチャンスととらえ迅速に対応したのですが、日本ではそれができなかったのです。
 つまり、多様性に富み新知識を持つ若手の抜擢や登用、スピーディな意思決定、そのための業務のデジタル化、リスクを伴う大型投資、などが必要であったのですが、上掲の日本の集団主義的なマネジメントの仕組みでは対応できなかったのです。残念ながら過去の成功体験にとらわれ新しい環境に適応できなかったわけです。
 現在岸田内閣は「新しい資本主義」を打ち出し、「人への投資」、未来を担う次世代の「中間層の維持」、女性の活躍、少子化・子供政策などを重視しています。
 私は基本的に賛成ですが、政府は具体的に、①義務教育では個を大切にする教育を強化、②大学入学時の多様な選抜方法、③リカレント(社会人の学び直しを含む職業教育の充実、④企業において生産性を上げるための人事政策を支援(解雇の自由とセイフティネットの整備)、⑤真正面から取り組む移民政策(自由に入国できる日系人の拡大、を含む)などを打ち出すべきであると考えています。いずれこれらの詳細をまとめたいと思います。
以上
※1: Sで始まる整理・整頓・清潔・清掃・しつけ、のこと。製造業、サービス業をはじめ職場環境改善のための多くの日本企業が導入した。
※2: QCサークルとは、職場でほぼ全員の従業員が勤務時間外に自発的に参加して継続的に改善活動をおこなう活動。製品品質や製造工程の改善に役立てた。
《【森本昌義】1939年日本生まれ、現在千葉県浦安市に在住。ソニー株式会社、アイワ株式会社、ベネッセ株式会社等に勤務したのち、コンサルタント、大学講師(英国Wales大学MBA)などを経て引退。現在、公益財団法人海外日系人協会常務理事》

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