故郷に錦を飾った森田幸子さん=地元文芸誌に手記掲載で反響

森田幸子さん
森田幸子さん

 「兄のおかげで、まるで故郷に錦を飾ったみたい。でも、錦というより60年ぶりの浦島太郎ですね」――サンパウロ市在住の森田幸子さん(80歳、兵庫県出身)は、最近の出来事を説明しながら、そう言って笑った。
 事の起こりは、森田さんが自身の日記手記を神戸市に住む兄・市位清(いちい・きよし)さんに送ったことから始まる。手記を気に入った清さんは2020年に日本で『ブラジル60年(幸子さんの日記)』として手記を製本した。これが森田さんの故郷、兵庫県多可町(人口1万8千人余)の町民文芸誌『たかの風』(年1回発行)に特別寄稿として掲載されることになった。
 森田さんの手記を読んで感動した『たかの風』読者の宮内重子さんが、多可町に住む森田さんの姉の元に、森田さんの人生の出来事を結晶化させた短歌の連作を届けた。

故郷の町民・宮内重子さんが送ってくれた短歌の短冊
故郷の町民・宮内重子さんが送ってくれた短歌の短冊

     ☆
 「二国の架け橋」宮内重子
 年一度町より配布の文芸誌特別寄稿はブラジルの人(森田幸子さん)/若き血は〝移民の人に花嫁を〟猛反対にも意志貫きぬ/今生の別れのテープちぎれたり号泣の母を兄はさすりぬ/八十になりて祖国を偲ぶ今渡伯の日々を切々とつづる/開拓の人に憧れ我もまた一心不乱に開拓の日々/衛生も医療も末熟な国にして子供八人育て来たりし/高齢の人の世話をし「幸っちゃん」と慕われ多くの友と親しむ/子ら稼ぎ新築の家を両親に親の背(せな)見て育ちて来しか/肉親の伯父に出逢いし二十才(はたち)の姪映画のごとし胸熱くなる/自らの渡伯がその後に及び来し二国の結ぶ架け橋ならん
    ☆
 日本在住の森田さんの娘が、森田さんの姉をたまたま尋ねたところ、短歌の書かれた短冊を見せられ、母に連絡アプリ「WhatsApp」で写真を送信し、森田さんにこのことが伝わった。
 兄のおかげで、60年間のブラジルでの生活の一端がふるさとの文芸誌に掲載され、姉のところに思わぬ礼賛の短歌作品まで届いた。それを聞いた森田さんの感想が冒頭の言葉だ。
 森田さんは20歳だった1962年2月、花嫁移民として南米へ旅立った。一度も面識のなかったコチア組合員だった夫と結婚し、8人の子宝を授かり、愚痴一つこぼさず貧乏生活を送り、76歳の夫を見送ったという。1973年に書かれた森田さんの詩「借金さんありがとう」には次のような一節がある。
 《雪ダルマ式の借金の中で/五人の子供達は生まれ育った/いつになれば一人前になれるだろう?/先日長い、長い冬からやっと春が来た/夜遅く帰宅した夫が「やっと肩の荷が軽くなった」と言った/この一言が私には痛いほど感じられた/何年も何も言わずじっと見守って下さったC組合》
 多くの組合員がたどった茨の道を、森田さん夫妻もまた辿っていた。90年代になってデカセギにいった子供らは、堅実に育ててくれた両親に感謝して家をプレゼントしたという。
 森田さんは手記や随筆を文芸誌『落書倶楽部』に投稿しており、同サイト(https://tsuishi.wixsite.com/morita)では森田さんの作品がいつでも誰でも読めるようになっている。

最新記事