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聞いて分かっても話せない?=一生かけて自分を肥やそう

高校卒業時に姉から贈られた言葉
高校卒業時に姉から贈られた言葉

 毎週土曜日、三世の友人と会い、日本語での会話を楽しんでいる。元々は漢字を覚えたいと言われて集まり始めたのだが、いつの間にか、四方山話の場になっている。
 ある時、「日本語での会話」についてが話題になった。私が「読んだり、聞いたりすることが出来ても、書ける、話せるとは限らない」と言うと、友人は怪訝な顔をした。
 相手の話を聞いたり、文章を読んだりして内容を理解するためには、文法の知識や語彙が大切だし、より深く理解するには文化や背景の知識も必要だ。だが、書いたり、話したり出来るためには、なによりも、「伝えたい事」があることが大切だ。
 米国に行ったとある2人の話がある。1人は英語が堪能ですぐに友人もできたが、話に中身がなく、飽きられてしまった。もう1人は英語は片言だが知識や技術はピカ一で、英語を身につけていく内に、周囲からの人望や信頼を得たという。
 本当に伝えたい事がある時、人は伝える方法を探しだす。純粋な心でたどたどしく語る子供の言葉が、美辞麗句を並べた挨拶より人の心を打つ事と同様だ。この事は修辞学などを身に着ける事を否定するものではない。
 「何も咲かない冬の日は下へ下へと根を伸ばせ」。小学校卒業時に担任が贈ってくれたこの言葉が、時と共に自分の中で深みを増している。「現代は無学の人のこれ無きに不学の輩の何ぞ多きや」。姉が高校時代に見つけ、私に教えてくれたこの言葉も、見る度に自戒の思いを新たにさせてくれる。
 単純な単語を並べた文の方が訳すのに骨が折れたり、含蓄の深さにうならされる事がある。その時は分かったつもりだったのに、実は表面的な理解だった事に気づいて赤面する事も多い。
 より良い理解とより良い意思疎通のために、語彙や表現力に磨きをかけ、文化や心情を理解する力をつける事、その上で、自分自身を肥やしていかなければいけないなと改めて思った土曜日のひと時だった。(み)

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