《特別寄稿》オミクロンとの闘い=サンパウロ市在住  広橋勝造

著しい倦怠感と食欲減退で即入院を判断

退院して、やつれた顔にも笑顔が戻った広橋さん

 オミクロンにかかってしまった。宮城県人会の元会長の中沢氏や、「私たちの50年ブログ」の責任者の和田氏の命令(強請、要望)で、20日間の入院闘病生活を分かりやすく簡単でなるべく詳しく書く事にした。彼等が云う様に俺も人の為になるだろう。
 今日(2022年2月10日)から20日前、1月20日、めまいを起こした。
 急にである。体が弱々しくなり、部屋に隣接する便所まで何とかたどり着いたが、今まで経験した事がない出来事だ。自分の体を思うようにコントロール出来ないのだ。
 コロナ(オミクロン)かなと一瞬頭をよぎり、50%の死を覚悟した。しかし、喉の痛み、咳、熱は無い。ただ体の弱々しさだ。
 そう云えば、ここ数日(3、4日)前から食欲がゼロであった。何を口にしても美味しくなく、食べ物を見る気もしなかった。4日間の断食による体の衰弱である様だ。
 喉が渇き、水を飲んだ、水が甘い(?=嘘のような本当の話である)のである、食欲のなさは口の中の味覚が完全に狂っているからだった。後から知った、オミクロン・コロナの一つの特徴だそうだ。
 噂では他にも二、三の特徴(関節が痛む、肌に痒み、など)があるそうだが、ここでは俺の経験しか書けない。
 入院の前日、休職したが、心配した息子が様子を知りたくて連絡して来た。即、入院を頼んだ。病院に搬送され、肺の部分の映像を撮り、診察が始まり、結果はコロナ・オミクロンであった。直ぐに応急措置が取られ、入院が決まった。

商売道具の酸素濃度測定器で測定、なんと50%

 医療関係の業界で活動する弊社は、一昨年の2月に武漢コロナが発見されて直ぐにオキシメーター(血液中の酸素濃度〝%〟値測定器)を購入(誤差1から2%あり)、全社員の健康を監視した。
 通常、酸素濃度値は97~99%であった。心拍は75~120/分である。そのオキシメーターとピストル型の温度計を購入して、病院に俺専用の測定器として携帯した。
 これは助かった。自分の症状が悪化しているのか回復に向かっているのか一目で分かるのである。最初の入院日は血液中の酸素濃度50%前後で、俺は気を失いかけていた。
 呼吸を少しでも楽にするために、鼻から酸素をチューブで注入してもらった。その後、酸素の注入量を少しずつ減らしながら、退院するまで続いた。
 2日目の酸素濃度は65%前後になり、3日目は70%前後で意識を回復(通常になった)していた。
 それから、毎日1、2%ずつ血液中の酸素濃度が上昇して改善していき、酸素入量は半減された。入院から17日目の退院日は93%前後まで改善していた。
 現在、動作の影響で88~97%である。症状(後期症)は、何か、肺に異物があるような感じがする。
 微熱は一回だけ汗をかいた、入院してから2、3日してからだった。入院中、一番苦しかったのはベッドに2週間以上横たわっていることだ。最初の一週間はベッドから出られらなかった、力が無いからだ。

水洗いで看護婦に大事なモノを摘ままれ…

 2週間目からベッドで体を水洗いしてもらい、10日目に椅子に座ってシャワーを浴び、快適になった。1日に一回、ベッドで体を水洗いしてくれ、便秘に悩まされたが、パンツの替わりに大人用のオシメを着け、漏らす心配を解消した(一度も汚さなかった)。
 二日に一回取り換えられ、看護婦さん達が、「ちょっと、ご免んなさい」と言って、もの珍しく、俺の大事なモノを摘まみ上げて、洗ってくれた。余りの小さなサイズに何とかしようとしたが、この病んだ体ではどうにもならなかった。残念であった。
 患者は医者、看護婦に自分の体を全部委ねるのではなく、一緒になって、自分の意見を率直に述べなくてはならない、と思った。彼等は患者ではなく、その時、その時の患者の思いを伝えなくては患者の本当の気持ち(コンディション)がわからないからだ。
 医者が毎日の診察に来る前に、俺と息子で伝える事をまとめていた。2週間目から回復の兆候が数字に表れ、とくに血液中の酸素濃度値が上がって来た。希望が感じられた。良かった!
 皆さん、気を付けて下さい。この病気は治ります。が、治療中、失敗すると、大変な事になります。これが、俺の最終結論です。
 補足、体重は普段は63kg前後ですが、病院を退院して測ると57kgで6kg痩せていた。退院してから一週間の今日測ってみると60kgに回復している。

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