
なお、ブタンタン区内のパードレ・オラーヴォ・ダ・シルヴァ街に購入してあった約350平米の土地にも1997年に長男の功が家を建て、現在妻子(妻:欣(シン)、娘:ジュリア、マリーナ)と住んでいる。次男の康雄の方は結婚した時購入したアクリマソン区の家を改修して妻、クリスチーナ早苗と住んでおり、2012年4月男の子グスターヴォ・昌司(まさし)が生まれた。
なお、サンパウロの隣接するサンターナ・デ・パルナイーバにも約4000平米の分譲地に小別荘を造成したが、忙しいのと家族に興味を持つものがいないので、希望する隣家の関係者に売ってしまった。
生前父は当市にある母校の一橋大学の校友会である「如水会」や戦後支那大陸から引き揚げてブラジルに移住してきた人たちの集まりの「満蒙支懇談会」いう会に入り、新しい友人ができ、明治神宮奉賛会及び靖国神社奉賛会の世話役を長く務め、詩吟にも熱心であった。
母は日本女子大の同窓会である「櫻楓会」やキリスト教会、始めは自由メソジスト教会、ついでルーテル教会に通い、家では武本由夫氏について短歌作りにいそしんでいた。
なお、弟の勇次は勤め先の東京三菱銀行を心臓病治療で早期定年退職し、サントアマーロ区の家で音楽や映画を楽しんでいたが、昨2011年の10月肺癌のため、妻香枝(よしえ)、娘マリエッタ文子(あやこ)、息子エドワルド武雄(たけお)を残して聖市サンタクルス病院で亡くなった。
(7)海外旅行
ジボーダン勤務中では4回にわたってアメリカ、ヨーロッパ、日本へ公務で海外出張する機会があった。アメリカはニュージャーシーにある支社、工場の訪問やサンフランシスコでの国際精油会議への出席、日本では京都で開かれた国際精油会議への出席と支社の御殿場工場などの見学、スイスではジュネーヴ本社・工場での研修と打ち合わせ及び研究グループの会議、チューリッヒの近くのドゥーベンドルフにある食品香料工場訪問、仏蘭西リオン市にある支社工場、香料植物栽培と抽出のメッカと呼ばれるグラースの関係会社の天然香料工場、スペインのバルセローナ工場、イギリスではロンドンの近くにあるホワイトリーフ工場などの訪問であった。機会を利用してのその他の都市や国、ドイツ・ポルトガルなどにも足を延ばし見聞を広めた。ブラジル国内でも原料の調査のため北伯アマゾン地方、南伯方面へも出かけた。