《記者の眼》アフリトス街のスズラン灯撤去=再開発の一部、黒人意識の日を前に

スズラン灯が撤去される前のアフリトス街の様子

 サンパウロ市リベルダーデ区エステダンテ街を下っていくと右側にある袋小路「アフリトス街(Rua dos Aflitos)」のスズラン灯が18日に撤去された。これは9月4日にブラジル日本文化福祉協会小講堂で発表された「エスプラナーダ・リベルダーデ」実施計画の中で予告されていた。同計画は野村アウレリオ市議の長年の要望で、サンパウロ市担当局長らの立ち会いのもと説明された。
 「エスプラナーダ・リベルダーデ」はサンパウロ市市役所によるセントロ地区再開発都市プロジェクトで、20万人の観光客を呼び込む多文化新名所を作ることが目標。ラジアル・レステ高速道路上のリベルダーデ大通りの高架橋から大阪橋、三重県橋、上塚周平橋に蓋をするもの。プロジェクトの総投資額は約3億3300万レアル、運営費は年間約2100万レアルを想定。契約は30年間で、PPP(官民連携パートナーシップ)によって実施される予定。
 この説明会の際、このプロジェクトの重要なポイントとしてアフリトス街への配慮が挙げられ、サンパウロ市とブラジル文化にとって重要なこの黒人遺産を視覚化するため、「ベコ(袋小路)・ドス・アフリトス」(Rua dos Aflitosの古称)のみ黒人意識の日にスズラン灯が撤去されると宣告されていた。

 スズラン灯撤去はUNAMCA(União dos Amigos Capela dos Aflitos)という黒人文化保護団体が6年前から申し立て申請をしていた。同街の奥に位置するアフリトス礼拝堂再建を目標とする黒人文化団体(@aflitos.unimca)だ。
 以下の文章にある通り、「黒人がこの地区の先住民であり、その文化的歴史的痕跡を消すために市役所と日本人がスズラン灯を建てた」と彼らは認識し、撤去が実現したことを喜んでいる。これは誤解で、日系人はそのような意図で建てたのではなく、東洋的な特徴を持たせて観光地化することで商業的な繁栄、生き残りを目指しただけだ。
 奇しくも今年はスズラン灯設置50周年の節目の年。ブラジルは多文化主義の国であり、多様な考え方が許されている。これはこれで一つの見方であり、彼らの考え方を理解した上で、冷静に対処した方が賢明だろう。以下、彼らのSNS投稿文は次の通り。(深)

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撤去されたスズラン灯が横たわるアフリットス街の写真を投稿したUNAMCA

 「ベコ・ドス・アフリトスの歴史における記念すべき日!」
 ついに日本の提灯が倒れ、何世紀にもわたって尊敬と尊厳ある扱いを求めてきた祖先の闘いに屈した。
 ―感激だ! そして、誰が先に来たかを常に思い出そう…。6年間の闘いではない! 何世紀にもわたるそれだ!
 市は「苦難の礼拝堂」を放置し、路地を「アフリトス通り」に変え、先住民や黒人の男女、権利を奪われ疎外された人々の歴史を消し去り沈黙させようと東洋風の装飾を施したが、彼らは「抵抗」が起きるとは思っていなかった。
 私たちは充実感を感じています…。しかし、それは始まりに過ぎないとわかっています。
 私たちには、礼拝堂の修復とアフリトス記念碑の建設という懸案がある。
 私たちは祖先への敬意、カペラ・ドス・アフリトスとその周辺(ベコ・ドス・アフリトス)の物質的遺産への敬意、聖地セミテリオ・ドス・アフリトスの最後の名残への敬意を求めている。
 私たちは、無形遺産、サンパウロなる魂、チャギーニャス、そして墓地区画の建物の下に埋葬されたままのすべての人々に敬意を払いたい。
 駐車場やマーケットではなく、瞑想、信仰、祈り、静寂、遺産教育…の場が欲しいのだ。
 市は意図的にアフリトスを忘れようとしているが、私たちは忘れないためにここにいるのだ!

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