参加型講演や体験セミナーも=ウチナーンチュの日2023=雨に関わらず約1千人来場

 ブラジル沖縄県人会(高良律正会長)はウリズン(沖縄県留学生研修生OB会)と青年部に委託する形で、10月29日午後、サンパウロ市リベルダーデ区の同県人会館で「ウチナーンチュの日2023~Tchaa Madjun~」を開催した。強い雨にも関わらず1千人以上が来場した。昨年までは大講堂でのショーが中心だったが、今年は沖縄伝統の紅型や古典舞踊、ルーツを説明する講演やワークショップも開催され、より深みのあるイベントになった。
 開会式冒頭では先亡者に1分間の黙祷が捧げられ、高良会長は「ウチナーンチュの日は我々県系子孫にとって特別な日。パンデミックの休止を経て3年ぶりに開催でき嬉しい」と挨拶した。
 前田トクゾウ・アントニオ評議員会長も「我々は子供の頃からいろいろな差別を受けてもじっと耐え、ひたすら働きながら育ってきた。その結果、沖縄系でない人にも我々の文化の価値が広まり、野村アウレリオ市議のような協力者が生まれた」と述べた。
 サンパウロ市の公式カレンダーに「ウチナーンチュの日」を入れた野村市議は「私のおじいさんは測量士として沖縄系が多い聖南地区の土地測量にも関わった。沖縄文化は子孫コミュニティだけでなく、伯国社会にも影響を与えた大事なもの」と称賛した。
 ウリズンの照屋ブルノ・ヒトシ会長(36歳)は「ワークショックでは本場沖縄で研修生として沖縄文化を学んできた人たちが、それぞれの専門分野を説明します。ただ見るだけでなく、参加できるイベントにしました」と説明し、裏方を支えるメンバーらに感謝を述べた。上原マサキ青年部長も「イベントに新しい青年を呼ぶことを心がけている」と述べた。

シーサー粘土細工のワークショップの様子

 会場では、1階で紅型やシーサー粘土細工のワークショップ、2階で4種類の講演会が行われた。
 琉球舞踊の講演では元研修生で、踊りの教師免許を持つ大城ブルーナさんとイズ・ジュリアナさんが「琉球王国は450年間も独立を保ち、その間、独自の古典舞踊を発展させ、外交などに活かした」などとその歴史を紹介しながら、小道具や楽器の実演を交えて解説した。最後は客席と一緒になって約40人が賑やかに踊った。
 講演に参加した屋良藤子(やらふじこ)さん(85歳、2世)は「よく研究されていて素晴らしかった」、屋富祖(やふそ)照子さん(80歳、2世)も「踊りも演奏も若い世代が担当していて、沖縄文化が伝わっていると分かって心強いわ」と感想を述べた。
 紅型の講演は照屋ブルノさんと石川ソニアさんが行った。石川さんは30年前から紅型普及を行っている。講演では「紅型は着物を染めるのに1カ月かかることもある。技術を理解するのに10年かかった。オリジナルのデザインを自分で作らないといけない。今では布や染料などほぼ材料を現地調達できる」などと語った。
 石川さんは毎週土曜日午前11時半から2時間ほど同本部開館で、午後7時からビラ・カロン支部会館で紅型について教えている。
 舞台では、琉球古典音楽諸団体が合同で「かぎやで風」「辺野喜節(びぬちぶし)」「恩納節(うなぶし)」などを盛大に披露した。
 空手道の演武や歌手伊藤カレンさんによる「沖縄ミ・アモール」や「うりずんの頃」などの歌唱、沖縄民謡調の北東伯名物曲「アザ・ブランカ」などが次々に披露され、最後はカチャーシーを皆で踊って締めくくった。
 観客の一人で、家族と一緒に来場した百名正博さん(ひゃくなまさひろ、69歳、3世)は「全て良かったが、伊藤カレンが歌った『うりずんの頃』に特に感動した」と興奮冷めやらない様子だった。
 イベントテーマの「ちゃあまじん」は「いつも一緒に」という意味の沖縄方言。「世界ウチナーンチュ・デーを一緒にお祝いしましょう!」との願いが込められている。

最新記事