「黒人意識の日」がサンパウロ州祝日に=黒人奴隷解放の英雄ズンビー讃え

首都のズンビー・ドス・パウマレス胸像(Elza Fiúza/ABr, via Wikimedia Commons)
首都のズンビー・ドス・パウマレス胸像(Elza Fiúza/ABr, via Wikimedia Commons)

 毎年11月20日に祝われる「黒人意識の日」がサンパウロ州全体の祝日として正式制定され、13日付官報に掲載された。同日付CNNブラジルなど(1)(2)(3)が報じている。
 11月20日は、17世紀には最大級だった逃亡奴隷集団地「キロンボ・ドス・パウマレス」のリーダー、ズンビーの命日だ。国民の祝日とは考えられていないがアラゴアス州、アマゾン州、アマパ州、リオ・デ・ジャネイロ州、マット・グロッソ州など一部でこの日を祝日と定めている。今までは州内各自治体に判断が委ねられていた。今回の決定で全州適用となり、今年から施行される。
 ズンビー・ドス・パウマレス(1655―1695年)は、奴隷制度に反対した黒人解放運動の指導者。当時隆盛を博した植民地産業はサトウキビ栽培で、その農場が海岸部の各所にあり、そこから逃亡した奴隷が山の中に隠れて住む共同体を「キロンボ」と呼んだ。今でもその種の共同体が各地に残っている。
 そのキロンボの最大のものがキロンボ・ドス・パウマレスで、1670年頃には人口2万人に達していたという歴史家もいる。現在のアラゴアス州セーラ・ダ・バヒガに位置し、海岸から70キロほど奥に入った山間部にあり、隠れ里のような存在だった。
 彼はそこで自由に育ったが7歳で奴隷商人に捕まり、カトリック教会司祭に引き渡された。しかし15歳でキロンボに戻り、1678年から95年にかけて指導者として同地を守った。
 キロンボ・ドス・パウマレスは土地と財産を共有する共和国のような生活を営み、階級のない社会構造が特徴的だった。彼らは畑で様々な食物を生産し、他地域に販売するなど、自給自足の安定した経済を持っていたとされる。
 同地に逃げ込む逃亡奴隷が増えたために、農園主や植民地支配者が多大な損失を被るようになり、政府軍が撲滅を誓って1694年のドミンゴス・ジョルジ・ヴェーリョが指揮する約6千人の兵士からなる遠征隊を送り込んで全滅させた。ズンビーは負傷しながらも逃げて密林に隠れたが、約2年後に仲間の裏切りで95年11月20日に植民地兵士によって殺された。
 ズンビーの活動と指導力は黒人の抵抗運動の象徴とされ、黒人解放運動の歴史上で最も重要な人物の一人とされている。

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