小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=48

「この植民地も開拓して三年だ。このあたりで、男女青年団を結成して、この非常時に備えたい。と同時に文化面でも活躍したい。夜学をはじめるとか、子供に日本語を教えるとか、この一帯に日本語学校はないし、このままでは俺たちの弟妹は無学の徒となってしまう」
 浜野が生まじめに発言する。
「いい案だけど、誰が教師になるんだ。お前活弁なんて教えるつもりではないだろうな」
 野沢が茶化す。
「まじめに聞け。俺にはひとつ名案があるんだ。この植民地の隣にはポルトガル系の家族が経営している耕地があるだろう。みかんの沢山植わっている土地だ。この前、一也と一緒にみかんを買いに行ったら、そこに日本人の家族が住んでいた。そこの親父さんがこの辺にも日本人がいるのか、自分たちは去年の暮に入植したばかりで周囲のことはさっぱり解らない。心すさびに短歌などを作っているが、発表の場も判らない、とこぼしていたんだ。物静かで、チョビ髭なんかを生やし、インテリタイプの人だ。先輩の皆さんと交流したい、とのことだ。頼めば小学校の先生ぐらいやってくれると思う。大家族で、娘さんに美人がいたようだ」
「やはり浜野の観察眼だ。調べるべきものは、ちゃんと調べている」
 青年たちは話をまじめに取り上げようとはしない。
「俺、本気なんだぜ。まっとうに聞けよ」
「よろしい。その家族は何と言う名の人だ」
「確か、八代さんとか言ってた」
「八代さんですって?」
 律子が、すっ頓狂な声を出した。
 一同が怪訝そうに、律子の顔を見つめた。
「私たちの同航海の家族に、八代さんて言う方がいたわ」
 律子は嬉しい声を出し、そわそわしはじめた。
「それは奇縁だ。次に行ったら確かめよう。知り合いなら先方もきっと喜んでくれるだろう」
 律子が異常な関心を示したので、浜野もうれしくなり律子の側へ寄ってきた。
「律子さん、次の日曜日にその人の家に行ってみようか」
 言われると、急に律子は戸惑うものがあった。浜野と一緒に、訪れてもみたいが、もし、あの八代であったなら、先方は迷惑するのではないか。耕地を追放されたことを他人に知られたくないだろうし、律子も自身の夜逃げの体験を話したくない。いずれ判ることにしても、もう少し時間を置いた方がいいような気もする。そう思うと、大声ではしゃいだことに、恥じらいを感じた。

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