「が良い」か「で良い」か=妥協でなく今できる最善を

子供達の笑顔や未来を守れる選挙を(マナウス市での子供マラソンで、Antonio Pereira/Semcom)

 統一選の決選投票が近づき、「拒絶率が当否を分ける」という言葉をよく聞く。支持率調査では、「相手を当選させないためにこちらの候補に投票する」と答えた人が多かったそうだ。
 「この人が良い」と思って投票するのではなく、「あの人は嫌だからこの人に」という選挙民の考え方は、18年選挙時も顕著だった。当時は「アンチPT(労働者党)」という言葉が盛んに使われ、ボルソナロ氏当選に繋がった。
 コラム子は、人に何かを選んでもらう時、「これで良い」ではなく、「これが良い」という言葉を聞きたい。前述のような選挙報道に触れる度、今後4年間の国政を託す人を「こっちの方がましだから」とか「あっちは嫌だから」という理由で選んで本当に良いのだろうかと思う。
 選挙戦では相手の拒絶率を高めようと相手の足を引っ張ったり、貶したりするやり取りに終始し、政策論議がなされていない事が残念でならない。
 決選投票が決まった時、実業界は安堵したという。先行きが見えないまま当選者が決まる事が避けられたとの思いからだったようだ。とはいえ、決選投票直前になっても今後の経済政策などは不透明なままだ。
 「Brincar com criança」というポ語の文は「子供と遊ぶ」という意味だが、「子供で遊ぶ」と訳すことも出来る。たった1文字で大きな違いだ。
 「で良い」と「が良い」の違いについても「些細な事に目くじら立てなくても」と思う人がいるだろう。だが、子供達が生まれ育ち、自分達も身を預けている国だからこそ、「この人で良いや」と妥協したり、「あの人は嫌だから」という後ろ向きの考えで決めるのではなく、「この人が良い」と思える人を選んで欲しいと思う。今できる最善を心がけている人は大勢いる。そうした人々の想いが報われる選挙の実現を願っている。(み)

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