特別寄稿=パラグアイ=2月25日は「テレレの日」=その発祥と最善の飲み方

パラグアイで一般的なテレレの飲み方(やり過ぎ53, via Wikimedia Commons)

 【パラグアイ・ビジネス・ニュース3月12日付】2月25日はパラグアイの「テレレの日」。テレレ(Tereré)は冷水でいれるマテ茶(Yerba mate)の飲み方の一種で、グアラニー族伝統の飲み物だ。特にパラグアイでよく飲まれている。
 ユネスコの無形文化遺産に登録されたテレレは、コロンブス以前の時代からこの土地の先住民に寄り添ってきた。テレレは、パラグアイ人の文化とアイデンティティの基本として切り離せない役割を持っており、「単なる飲料」というだけでなく、今日まで社会をつなぐ重要な役割を果たしてきたと、同日付現地紙が報じている。
 テレレはいつ誕生したか。いくつかの情報源によると、チャコ戦争中に、兵士が喉の渇きと戦うためにマテ茶で水をろ過したときに生まれたという説もある。しかし、この単純な説明は、研究者が収集した情報と一致せず、この飲み物の起源ははるかに古いという。
 国立文化事務局(SNC)の人類学、考古学、古生物学局の責任者であるV・セゴヴィア氏は、17世紀のイエズス会の宣教師の残した記録によれば、グアラニー族は薬草、マテ茶、水を自分の歯でろ過して服用していたと話す。
 19世紀の終わりに、学者のM・ベルトニ氏は、この飲み物を飲んでいたグアラニー族をアルトパラナ県で発見した。北では「tareresí」と呼ばれ、南では「tereresí」と呼ばれていた。確かに、コロンブス以前の時代ではこの呼び名ではなかったが、20世紀からパラグアイのスペイン語で使用され始めた。
 驚くべきことに、テレレは今日私たちが知っている名称以前のものであり、コロンブス以前のものであるため、パラグアイ人の存在よりも古いと言える。

牛の角で作られたグアンパ(Wikimedia Commons)

 当初は水で飲まれていたため、マテよりも古いという。
 テレレは薬草と切り離せないものであり、どちらも無形文化遺産と見なされている。薬草を使ったテレレを提供するメルカド4市場の一角で、テレレの文化プロモーターを務めるJ・トレス氏は、アルミニウムの水差しに水を入れて、グアンパ(牛の角などで作られたコップ)で飲むことを勧めている。
 しかし、スコットランド人にとってのウイスキーのように、飲み方に標準的な方法がないため、誰もが自分に合った飲み方をする。専門家が通常推奨する事項を忘れてはいけない。3つ以上の薬草は使用してはいけない。その組み合わせは根の薬草二種と葉の薬草一種、または根の薬草一種と葉の薬草二種でもよい。
 使用する yerba(マテ茶)の種類については、ミックスマテ茶ではなく、クラシックなブレンドされていないマテ茶を勧める。ブレンドマテ茶を使用する場合は、水に薬草を加えないことを勧める。また、元気に一日を始められるように適切な薬草水で午前中に飲むことをお勧めする。午後から飲む場合は薬草を入れないことをお勧めする。また活性効果のある飲み物なので夜飲むことは勧めない。
 トレス氏は、曜日ごとのテレレメニューをシェアした。
★月曜日は消化を助けるテレレ、kokû、menta´iと mbokaja をブレンド。
★さわやかな火曜日は、kapi´i、santa lucía morotî と tarope。
★水曜日は暴食に対してbatatilla、cedrón Paraguayと zarzaparrilla。
★木曜日の準備は agrial pytã、burrito と cedrón Paraguay。
★エネルギッシュな金曜日は kapi´i katî、kokû estero と santa
lucía morotî。
★土 曜 日 は 力 強 く hinojo、cedrón、batatilla。
★日曜日は二日酔いに zarzaparrilla、kapi´i
katî と menta´i を勧める。

国境を越えて

クイア(ひょうたん)の入れ物に入ったテレレ(Wikimedia Commons)

 テレレは、パラグアイに隣接する国の州を除いて、あまり広くは飲まれていない。アルゼンチンの東北部は、グアラニー族のルーツのある場所でもあり、多くの同胞も住んでいるためパラグアイの影響を強く受けており、テレレが消費されている。しかし、それらの地域での飲み方は若干異なる。
 セゴヴィア氏は個人的な経験から、前述のアルゼンチン北東の人々は薬草水で飲む習慣がないという。冷水のみで飲んだり、ジュースや、味・香りのついたマテ茶を使用してテレレを飲んでいる。後者のフルーツ味のジュースで飲む飲み方(tereré ruso/ロシアのテレレ)は、それほど普及してはいないが、長い歴史を持っている。自身はその存在について詳しくはないが、他の飲料と同じくらい普通であると証言した。
 「パラグアイのイタプア県で移住者の子孫から、先祖はテレレが苦かったので水の代わりにオレンジまたはグレープフルーツジュースで飲み始めたと聞いた。現在、その地域ではまだそのように飲む人がいる」と説明した。
 テレレはグアラニー族から相続した文化であり、パラグアイの文化に深く根付いているため、口承に強い影響を与えている。コミュニケーション、問題解決、その他の日常生活の会話などを何人かでテレレを楽しむ輪が提供してくれることから、強力な社会的結束力を持っている。
 F・アクーニャ・F氏は、パラグアイの国歌の詩に、テレレの各一口に切り離すことのできない「結束」と「平等」という生きる上で必要な精神の概念が含まれていることを組み込んでいる。(出典=PBNサイトhttp://pybiznews.wix.com/paraguay-biz-news

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