小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=103

「パパ、私、自分の手がぼんやりして、よく見えないわ」 
 と繰り返した。日を追って意識は乱れてゆき、まるで夢の世界に遊ぶような頼りない母になっていた。寝ていながら、おのずと手が動いて、頭や頬をしきりにかきむしり、また、パンパンに腫れ上がっている腹部を掻いたりする。まるで死が近づいた下等動物の見せる動作のようだ。かと思うと視点の定まらない瞳孔で壁の一部を見つめて、何かにおののいたり、朦朧とした声で、
「パパはいる?」と訊く。
「パパはここにいるよ。心配しないで」
 私が諭し、顔をパパに向けてやると、少し父の顔を見、安堵の眼を閉じる。
「ママはちっともお腹が減っていないの」
 と言う。はっきり意識しているとも思えないのだが、涙が頬を伝わっていた。
「何でもない。疲れているから、ゆっくり休むんだ。今度目が覚めるとすっきりするからな」
 と、父はいつもの言葉を繰り返す。それは、やり場のない悲嘆が滲んでいた。
 その日も寝際に鎮痛剤を打ち、父は母の傍に横になると、暮れるまで眼の通せなかった新聞を開くが、文字を追っている様子でもなく、直ぐ頬に新聞をかぶせて沈黙してしまう。寝入ったようでもないが、私がそっと電気スタンドに切り換えると、父はむっくり起き上がり、新聞を傍に置き、また横になる。父の顔は濡れていた。真っ赤な眼で天井の一角を見つめ、何かを考えている様子だ。いや何も考えていないのかもしれない。
 私はそ知らぬ振りをした。窓外に往き来する電車や自動車の音がいやに鼓膜を打つ。ことに私の家の前は電車の交叉路になっていて、電車の踏み切りの音はたまらない。自動車のヘッドライトは玻璃戸ごしに部屋の壁を照らすことを繰り返し、左右から現われては消える。この部屋に住んで、かれこれ二〇年だ。
『癌の兆候』によれば、自動車の排気ガスや道路のコールタール、スモッグに汚れた都会の空気は、人体に大きな害を及ぼすそうだ。とすれば、私たちは最も悪い環境の中に生きているわけだ。父が別の場所へ家の新築を思いついたのも、一つはそういう思惑によるものであろう。
 一刻も早く新宅を完成し、そちらに移りたい。より静かな雰囲気で、澄んだ空気に浴すことが、母の最期の生き甲斐となるに違いない。

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