小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=79

 日焼して色の黒い田倉は、酒のせいでさらに赤錆た顔になっていた。
「明日、日曜だから豚一頭やっちおうか」
 と、浩二は無表情で言う。母親は、浩二も立派な青年に成長したと頼もしく思った。移住当時はおどおどして、牧場の中の牛が恐いとか、山鳩の声が淋しいなどと言いながらコーヒー園へ弁当を運んだものだった。半ズボンの少年が長ズボンとなり、見よう見真似で豚の去勢や屠殺も覚えた。最初はうまくいかず、父親に手伝ってもらったが、最近では近所の手伝いをするまでに上達した。この田舎では鶏や豚は、魚を料理するように各家庭で解体する。それができないと一人前の農民とは言えない。その他に、雇用人の扱い方とか農産物の売買などにも通じていなければならぬ。
 通学はできなかったが、家族と起居を共にし、大人の辛苦を痛いほど味わってきた浩二は、一農民として時世に適応できる柔軟性のある青年に成長していた。
 
ジャトバー樹
 
 浩二たちの借地時代には、椰子の木を四つ割りにして縦に並べ、壁土で塗り固めた掘っ立て小屋に住んでいた。土地を買って移ったこの地では、もう少しましな住宅を普請しようと四周の壁を板囲いにし、屋根は赤いフランス瓦で葺いた。農家としては一応住宅と呼べる外観を呈した。
 家の傍には一本のジャトバーの古樹が三〇メートルを超して天へ伸び、先端に樹冠を広げていた。堅い木質なので開墾の時、山伐り人夫が手間を省くために切り残したものだ。山焼きの折に焼け崩れてしまうことが多いが、この古木は生き残った。周囲が耕地となった今では、不均衡に蒼穹を衝いているが、その姿は孤高を持しているかにも見えた。
 年に一度、眼鏡のケースのような莢豆がつく。乾熟して自然落下した莢を割ると栗の実そっくりの褐色の種が現われる。それを糸で維いで女性の首飾りや他の民芸品ともする。偶然、自分の土地に焼け残った銘本として、田倉家のものは愛着を寄せていた。
 澄んだ青空の下で緑葉を広げるジャトバー樹と赤い瓦の住宅は、平和な風景のエレメントとして大地の一点を占めていた。家畜小屋は巨樹の根元にあった。塀囲いの一部はジャトバー樹が利用されていた。農民の知恵である。去勢された牡豚はこの小屋で数カ月間飼育されて、手頃に肥ると、屠られて食糧となる。

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