読者寄稿=サンパウロ 村上敞子「どろぼう」

 月がでた出た月がでた三池炭鉱の上に出たあんまり煙突が高いのでさぞやお月さん煙たかろ
 私たち家族はこの炭坑節の中の「煙突」のある近く(福岡県田川市)に住んでいた。たった十五軒くらいの石場という村である。石場というだけあって、この村は石で出来たボタ山が、半分の面積を占めている。
 ボタ山のボタというのは、真黒な石である。この辺一帯は、地下何十メートルも掘ると石炭が出てくる。採掘されたものは、石炭とただの石に選別され、出てくるカス石のことをボタと言うのである。
 そのボタを、この部落に何十年も捨て続けてきた。今では草木も生えない大きな山となった。
 今から七十年も昔、この田川市にはヤクザや流れ者が多くやって来た。彼らが炭鉱夫になった者もかなりいたようだ。時折地下の坑内で落盤事故が起きる。炭鉱夫たちは生き埋めにされ、多くの死者を出してしまう。命を張った稼業であるだけに、男も女も気は荒い。この連中が「なにおう!」と言った時には、もう手が出ている。そんな地域がこの村を取り囲んでいた。
 私が、十一歳になった少女の頃のこと。近所に五歳上のアキラさんという青年がいた。このアキラさんに、ある日どえらい話を聞かされた。
 「オレは父ちゃんと、ボタ山から古鉄を盗んでくるとよ」
 「・・・」
 「その鉄は隣の古鉄屋に売るとたい」
 ものすごい金になるという。
 「ふーん、鉄はボタ山のどこにあるとかね?」
 と聞くと、てっぺんに山ほどあるという。
 次の日の午後、早速子分の弟を連れてぼた山にむかった。アキラさん達は真夜中にいくと言っていた。
 古鉄屋はボタ山から近い。
 『うふふふ、帰りはこの膝元のポケットはお札で膨らんでいるだろうよ』と、想像した。
 足どりも軽く、もう勝ったような気分である。
 間もなく簡単に鉄は見つかった。トロッコ用のレールが山積している。レールはこのボタ山にとって必需品で、隣の地区から選別されたカス石を、トロッコで運んで来る為のものである。レールはあまりにも重すぎて、私たちの手には負えない。もっと抱えられる程度の品はないかと見回すと、あった!
 山のてっぺんに棒状のものが立っている。その先に分厚い鍋を押し潰したような鉄が、高々とぶら下がっていて、その品の両面には何か不規則な凹凸がある。
 まるで盗ってくれと言わんばかり。それに両手を伸ばし、抱えおろしたとたん!
 「こらあー!」という声が飛んできた。が、振り向きもせず、その鉄を抱いて、素早く弟と駆け下り始めた。石ばかり、ゴロゴロした足場の悪い斜面である。先ほどの男の声が更に迫ってきた。 「それだけは持って行くなあー」
 「それは大事な鍵だぞー」
 と切迫した声だ。走りながら今抱えている鉄は、何か大変大事な品であるらしいことは分かった。どうやらその鉄の塊は、トロッコを作動させる鍵であるようだ。トロッコを動かせないということは、ぼたを送り出してきている隣の地区では、仕事が止まってしまう。そうなると、こちらのボタ山に携わる人夫すべてにも仕事がなくなる。
 必死で追ってくる人夫から逃げ切るのに、この重いものをもっていては不可能である。ふもとの小川まで来た時、その鉄を投げ込こんだ。鉄は、いそがしく流れる浅瀬の底から、こちらを眺めている。『後で取りに来るきね』と、その変な鉄に向かって強く約束し、今はとにかく逃げるんだと決めた。
 やがて無事、家にへたどり着いた。夕方になり、ふと気が付くと、家の中からおっ母さんの声が聞こえてくる。今にも泣きだしそうな、聞き取りにくい声。
 「池田さんがたのせいで、子供だちが悪いことを覚えてしもうて…」
 聞いている父は無言であった。
 「えっ! 」と思った。おっ母さんが知っているということは、すでに村中に知れ渡っていることになる。どうしてこの事が知られたのだろうか。
 『ああ、もう手が回るのは時間の問題だ』彼らに捕まったらどんなお仕置きがまっているか…。
 この時ふとある事件を、思い出した。
 この石場のすぐ近くには、炭鉱夫の家族たちが住む社宅がある。木で囲っただけの、隙間だらけで小屋のような建物が、数百軒並んでいる。その建物の後ろあたりに、炭坑節に出てくるあの煙突が、生き物のような堂々たる風格で、すべての社宅を見下ろしていた。
 その一角には公衆風呂があり、一度に五十人位は入れるほど大きく、誰でも無料で入れた。そこの女湯の方に、私も毎日つかりに来ていた。
 ある日のこと、風呂の入り口まで来た時、隣の男湯に入っていこうとしている者がいる。がっしりして、四十代くらいか。この時であった。いきなり外から一人の若者が、抜き身の刀を手に、声をあげながら突進して来た。
 彼は、男の後ろまで迫った時には、背中めがけて斜め下へ一刀両断、切りおろしていた。目の前で、男が血に染まりながら倒れて行く。「あっ」という間の出来事で、恐ろしいというより、夢を見ているようであった。
 それにしてもあの若者は、まるで映画を見ているように、見事な刀さばきであった。一体どんな理由があったのだろうか?
 また、こんな事もあった、この社宅からもう少し行くと小さなトンネルがある。この薄暗い中、中間までやってきた時のことである。
 女同士が、激しく髪を振りみだし掴み合っている。片方の女は、トンネルの壁に相手を、自分の体で押しつけた。残りの両手で、人間の頭より大きな石を持ち上げて、相手の頭に打ち下ろしはじめた。「グッ、グッ、」その音にならない音を耳にすると、全身の力が抜け、さ迷う様にして逃げ帰ってきた。
 このような気の荒い炭鉱夫たちに、捕まって打ちのめされるより、とにかく謝って来ようと決心をした。詫びてもただで済むとは思わない。それでも、何かに突き動かされるように、ボタ山へ向かった。
 その日は凍てつくように寒く、山での人影は少ない。麓には人夫たちの使用する小屋がある。そこへたどり着いた時、一部始終を分かっている無口な弟が、私を見上げている。
 「姉ちゃん…」
 と、すがるような声を漏らし、あとの言葉はのみこんでいた。
 小屋の中を覗くと、一人の男がこちらを向いて座っている。
 弟と恐る恐る中へ入っていった。男はざっとしたいろり風の中へ焚木をくべて、手をかざしていた。ずしりとした肩を起こして、こちらへ目を向けた。大きな顔は無精ひげを生やし、いく分歳に見える。どうもこの辺一帯の親方らしい風格がある。やがて低い声で
 「なんか?」と言う。
 恐ろしさでいっぱい、消え入るような声で事情を話し、許しをこうた。今にも相手が立ち上がり、迫ってくるかもしれない恐怖と闘いながら。立っているのがやっとであった。しばし無言の前で焚木は、小さな火の粉を散らしていた。やがて彼が重い口を開いた。
 「もっとこっちイ来て火にあたれ…」と。
 それから形ばかりの質問を二、三しただけで
 「日が暮れるキ、もう帰れ」と言った。
 その時「鉄は川の中に捨てました」と、言ってしまった。
 「もう見つけた」と、男は言う。
 なぜか『ああよかった!』と思った。
 粗末な小屋の戸をおして外へ出た瞬間、いっぺんに体の力は抜けていた。しかし、許されたという解放感より、意外なことである!
 あの男の武骨な温かさが、私を強く包んでいた。

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