ニッケイ新聞 2013年6月22日付け
105周年を迎えた日本移民史の中で、〃最初〃という枕詞をつけてひたすら繰り返された「笠戸丸」、その船を運行した皇国植民会社の水野龍の存在には突出したものがある。だが同じ時期に「日本人植民地」創設を実現させた青柳郁太郎(1867―1943、千葉県)の存在はあまり目立たない。1913年に創設した桂植民地を皮切りに、第二にレジストロ、第三にセッチ・バーラスと拡張し、「イグアッペ植民地」と総称した。なぜ青柳は移民でなく「植民」にこだわったのか、そしてなぜイグアッペを選んだのか。時まさに日露戦争の前後、明治時代後期は日本近代史の分かれ目だった。青柳を表看板にすえて南米への移住計画を推進したのは誰で、どんな考え方だったのか。レジストロ地方入植百周年を機に、この地方に限らない幅広い歴史的な視点から、今だから見える日本移植民の原点を探った。