この人抜きには日本人ブラジル移民史を語ることができない――。一九〇五年四月十九日、駐ブラジル日本国第三代公使として着任し、日本にブラジル移民への種を蒔いた杉村濬(ふかし、岩手県盛岡市出身)。着任してからわずか一年一カ月後の翌〇六年五月十九日、脳溢血で倒れ、今もコルコバードの丘に建つキリスト像に見守られながら眠る。ブラジル岩手県人会(千田曠曉会長)の一行三十一人は、二十二日から一泊三日の墓参旅行を行い、日伯の掛け橋となり移民開始のきっかけを作った杉村公使の数奇な運命を辿った。(渡邉親枝記者)