小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=53

 日頃、うす暗いカンテラの灯のもとで暮らしていた入植者には、このガス灯があるだけでいかにも洒落た教室に見え、ことに土曜日の夜は、明日は休日という気楽さもあって、植民地の青少年男女のほとんどが集まった。そこに席をおくことで自分が少し高級な学徒になったような心地さえした。
 日本で高等小学校を卒業していた律子も、弟の浩二をつれて毎週でかけた。八代はそれほど学歴のある人物ではないと父親から聞かされていたが、先生の学識とは別に、一週に一度明るいガス灯のもとで、若者たちと席を一緒にできることは楽しい。八代先生が現れるまでの生徒同士の雑談も弾んだし、時に隆夫がくることもあって、そういう日には勉強というより隆夫の傍で時を過せるのが律子は何よりも嬉しかった。

 八代先生は、いつも馬でやってくる。あの再会の日に、隆夫が乗っていた白馬だ。若い頃から馬が好きだった八代は、乗馬の姿勢も板についていた。馬から降りると近くの木の株に手綱をひっかける。胸のポケットから煙草をとり出し、それに火をつけて、一つ二つ咳ばらいをしながら教室に入ってくる。ちょっとキザな男ではある。
 彼は自分が正式な教師でないことを一応断りながら、生徒各自の日本での教育程度に合わせ、それに応じた教え方をした。
 授業時限は二〇時から二二時までだが、それが終っても雑談の時間があった。八代自身の趣味としている短歌にちなんだ話もあって、万葉時代の柿本人麿や山部赤人の作品を例にあげて、彼らは現代の歌人にも卓越した作品を残している、不滅であると語った。また奔放な恋愛に生きた額田王の作品を鑑賞したり、八代自身の作品をまじえて、面白おかしく話を進めた。
 人間の喜怒哀楽は千二百年昔の万葉時代も現代もあまり違わない。ただあの時代は恋愛がかなり自由であったのに対し、現代は一夫一婦制にしばられて自由を失った、とも述べた。
「先生、ブラシルでは北の方へ行くと、恋愛はもちろんだが、情事も、全く自由と聞いてますが」
 一年ほど前、結婚に失敗した磯田一也が、その方面へ行きたいような表情で発言した。
「わしはブラジルのことはよく解らんが、未開国の男女関係は、概して大らからかじゃないかな。その点君たちは恵まれていることになる」
 こういう話は、とくに若者たちを喜ばせた。

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