ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(174)

 終戦

 一九四五年。
 半田日誌。
 「二月十日 午前中、買い物のためシダーデへ出て新聞を買ったらドイツ国内で人民が一キ(一揆)を起こしているなどの報があった。どうも面白くない。
 それから近く開かれるメキシコ会議では、全南米が一斉に枢軸国家に対して宣戦する決議をするだろう、などと書いている。
 胸くその悪いほどアメリカが憎悪される。
 やるならやってみろ、我々はキモに命じる。永久の敵としてやると思った。
 アメリカ資本主義を倒さない間は、彼らのウヌボレを滅することはできない」
 「三月二十七日 (米軍が)沖縄にやってきたらしい…(略)…早く華々しい逆襲がみたいものである」
 「四月二日 今日の新聞の報道によると、沖縄本島が中断されたとある…(略)…敵の進撃は、ますます猛烈になって行く…(略)…我々は七度この世に生まれてきても、米英撃滅の理想は捨てないと思うが、また、それだけ、この度の戦争は楽観できない。
 ただ興廃の秋に当って必ず一大勝利を齎すに違いないと、我々は忠勇なる日本軍人、否、全日本人を信ずるだけである」
 「四月六日 モスコー五日電で日ソ中立条約は継続されざることが…(略)…日本では小磯内閣が辞職して鈴木カン太郎大将が…(略)…チト面白くない成り行きだ…(略)…まだまだ無敵艦隊も健在である筈だ」(無敵艦隊は、とっくの昔に無くなっていた)
 「四月二十二日 鈴木内閣を和平内閣と見る日本人インテリが増えた」
 「五月七日 山本さん(宅)でドイツ降伏の…(略)…汽笛、鐘、サイレン等、一斉に鳴り響いた…(略)…シダーデは物凄い騒ぎらしい……(略)…ドイツ人は、どんな気持ちだろう。電車の中では顔を見るのも気の毒である…(略)…(隣の)ドイツ人宅は今日は訪問客が絶えてない…(略)…夜半まで花火の音が絶えなかった」
 「五月九日 明けてもくれても我々にあるものは、今後の世界の動き、日本の将来である」
 「五月十三日 日本の勝利を信じないわけではない…(略)…だが、これだけはハッキリ言える。米英撃滅はすべて過去の夢である…(略)…焦土作戦などは絶対にいけない」
 「五月二十七日 フェイラから帰ってきた妻が新聞を買ってきたので見たら、また東京の爆撃だ…(略)…東京は殆ど灰燼に帰したらしい」
 「六月六日 ブラジルが日本へ宣戦した」
 「六月十日 フォーリャ・ダ・マニャンに鈴木首相の声明が出ていた。日本は無条件降伏を避けるため、最後まで戦う決心らしい。悲愴な決意だ。まだまだ物凄い戦争がある。
 (同紙は)日本の精神科学は、列強中、一番遅れているからアメリカの新鋭兵器の前には、ひとたまりもないだろう、と論じている…(略)…ブラジル人から言われると、片腹痛いが、我々には一寸こたえる…(略)…命を投げ出しうる精神力が、いかに偉大な文化であるかを知ることが出来ないのである。死を恐れぬ精神、死より強い愛、個人の上にある祖国」
 「六月二十一日 沖縄本島を米軍完全占領と発表」
 「六月二十六日 私は、まだ日本が絶体絶命だとは思わない。これから、どんな戦略に出るかは未知のものであるし…(略)…最後の段階で相当敵に打撃を与えるであろう」
 「七月二十七日 今朝の新聞は一斉にチャーチル、ツルーマン及び蒋介石が日本政府に無条件降伏を通告(要求)したことが出ていた…(略)…夕刊は、簡単に日本政府、無条件降伏不承知と出した。まだまだ慌てる必要はないもよう」
 「八月六日 夕刊が原爆投下を報道。憎米感が募ってくる。いかなる手段でか米国を倒してやりたい」
 「八月九日 ロシアが日本へ宣戦した」
 「八月十日 午前十時頃、ラジオは、日本はポツダムよりの提出条件を承知せり、と報道した…(略)…夕刊は、日本降伏と報じた。私の気持ちは昨日より平静である」
 「八月十一日 今日の新聞も降伏問題が最大のトピック…(略)…コンセレェイロの床屋へ行ったら、日本人は相変わらず元気なモノ。今朝のラジオはどうでした。原子爆弾とやらはインチキらしい…(略)…満州の方も大軍がきているんではないらしい。
 一般在留民が祖国を信じている態度は実に美しい。終日、日本のことを考えた。他のことなど頭に入らない。今こそ冷静に冷静に」「八月十二日 大勢は決したものとして」
 「八月十三日 きくところによると、日本降伏の報に悲憤の涙をわかした人もあるらしい。自殺未遂の新聞記事もあった。でも大多数の日本人は、まだ頑として日本の勝利を信じている」(つづく)

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