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セルジオ・メンデス死去=米国で最も売れたブラジル人音楽家

2024年9月7日

セルジオ・メンデス(facebook)
セルジオ・メンデス(facebook)

 60年代の世界的なボサノバ・ブームの際、国際的な人気も得、米国で最も聞かれたブラジル人アーティストとして知られた作曲家、ピアニストのセルジオ・メンデスが6日、ロスアンゼルスで亡くなった。82歳だった。同日付フォーリャ紙(1)が報じている。
 1941年9月11日にリオ州ニテロイで生まれたセルジオは、幼い頃から市内の音楽院に入学。15歳でカルメリタ・ラゴからクラシック音楽を学んだ。大人になってからはジャズに興味を持ち、コパカバーナのナイトクラブに通った。そこで、当時生まれて間もなかったボサノバの洗礼を受け、アントニオ・カルロス・ジョビンやヴィニシウス・デ・モラエス、バーデン・パウエルなど、のちのボサノバの大物たちと知己を得る。
 1959年にピアニストとして、最初のバンドを結成。1962年にニューヨークのカーネギー・ホールでボサノバのコンサートを成功させた後、1964年に米国に移住した。
 1966年にセルジオ・メンデス&ブラジル66として、当時大人気だったトランペッター、ハーブ・アルパートのレーベル「A&M」からデビューすると、デビュー・アルバムが全米7位の大ヒットを記録。68年には「ルック・オブ・ラブ」「フール・オン・ザ・ヒル」の2曲がシングルでベストテン入り。一時低迷したが、83年にはボサノバから大人のバラードにイメージ・チェンジした「愛をもう一度」のヒットでベストテンに返り咲いた。
 その後も2000年代後半に、ヒップホップやクラブ・ミュージックの世界からボサノバ・リバイバルで最注目され、再び売れっ子となっていた。
 死因についてはまだ詳細が明かされていない。


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