小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=116

「これ、どういう意味?」
 走り出すと、和子はフロント・ガラスの下に貼ってある写真を指した。
「お前とママの写真じゃないか。もう、六、七年前のかな。ママも元気だったし、お前も今よりは可愛かったかな」
「フン」と和子は、私の皮肉を鼻であしらい、
「写真のことじゃないのよ。ここに書いてある《パパイ横見しないで》って、どういうこと? ママを想い出すためなの」
「いや、おまじないさ。パパは時どき、車の事故をやるからな」
 二、三日前、ふと思いついて貼り付けたものである。亡妻への思いもあったから、私は内心では照れながら弁解がましく言った。娘はさほど意にも介さぬようだ。話はそれだけで終わった。
 霧は容易に晴れなかった。ポルヴォラ広場を少し下った所に新築されたばかりの校舎は、瀟洒な別荘を思わせるような建築で、朝霧の中に幽玄な姿を現した。校門の前で、和子は身軽に降り立ち、
「チャオ、チャオ、パパイ、ありがとう。ヨコミ、シナイデネ」
 と、いたずらっぽく手を振って校舎へ入って行った。私は、無言で頷いて見せた首を、今度は横に二、三回振りながら苦笑した。誰にともない、かすかな不満を胸の内に燻らせていた。

 和子が、かけ放しにしておいたラジオから、ポルトガル語ニュースが聞こえていた。スイッチを切ろうとして、ふと私は日本語放送の時間であることを思い出し、周波数を換えた。C産業組合提供の歌謡番組が入り、歌謡曲『並木の雨』が流れてきた。ずいぶん昔の歌だ。ある感慨が私を捉えた。
 うだつの上がらぬ百姓生活に見切りをつけ、町の写真館に住み込んで写真技術を見習っていた頃、
どこからともなく流れてきていた甘ったるいその曲を聴きながら、ひどく悩ましい気分に浸っていた独身の頃が思い出される。
 貴美と結婚したのは、それから三年ほどのちであった。写真技術の習得を終え、専門の道へ入るためサンパウロ市へ出たことを、友人であった貴美の兄へ手紙で知らせたのがきっかけであった。私と彼女との文通がはじまり、それは次第に愛を孕んでいったのである。その間、日本の敗戦を手紙で知らせて、戦勝を信じていた彼女との折り合いが悪化したり、身内の死や、私自身に別な縁談が持ち込まれ、断るのに苦労したことなどいろいろの思い出が脳裡をよぎる。

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