連載小説=自分史「たんぽぽ」=黒木 慧=第129話

・七月五日 プロスタタのラジオテラピア治療後四十日目の検査結果はPSA一・四八でまず効果あり。今後も三ヶ月毎の検査で少しづつでもPSA値が下がれば良い。
・七月十六日 三日間、イミグランテス街道の入口の州のイベント場で県連主催の日本祭り(フェスチヴァル・ド・ジャポン)が開催され、私は県人会長として、宮崎県人会の屋台で婦人部と青年部が出店している、春巻きともち米ご飯、それにみずえの母の母堂、トメ子さんの梅干売りに協力せねばならない。今年は売る量が少なく早々売り切れた。コチア青年の屋台も場所も広く、皆から寄贈された農産物、野菜、果物、花など、山と積まれたものが三日間でほとんど売れて、一万五千レアイスの収入であったとか。
・七月二十二日 宮崎の延岡から夕刊デイリーの川越記者来伯。主に県北出身者を取材した。己知治の活動ぶりも延岡などに紹介された。この日、黒田プリシーラさんが技術研修生で訪日した。
・八月十四日 己知治の長男、黒木大介君とフランシネ末美ポエリョさんとの結婚式がグランジャ・ヴィアーナで催され、今里エジソンと恵美夫妻も仲人であった。セレモニーは野外のテントの下で行われ、震え上がるほど寒かった。バンケッテは肥後さんの料理で暖房の部屋で行われた。だけど、ブラジル式の結婚式は特別に司会もなし挨拶もなし、何か物足りなさを感じた。新郎新婦はアルゼンチン南部のバリロッチェに旅に出た。
・八月二十七日 ここしばらく雨がなく干ばつが続いたので、山火事の心配をしていたら、早速、我が家の山が焼かれた。隣のカスタネイラの土地から火が拡がり、我が家の山林が四アルケール位焼かれた。倉庫二軒が焼かれ、中にあった角材など焼けて大損害であった。ユーカリ林も焼かれたので残った枯並木をマキにして売ることにした。ブラジルでは泥棒や強盗も多いけど、一レアルの儲けにもならない落書きとか山林への放火などして、それに喜びを感じる連中がいるのは本当に困りものだ。

 

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