連載小説=自分史「たんぽぽ」=黒木 慧=第41話

 私の場合、一九六五年のバタタ作が極度に悪かった。八月に植えた二アルケール半のバタタが土壌ウィルスによる根腐れ病でべったりとやられ、掘っても掘ってもまともな芋は出てこない。収量は普通の三分の一以下。それも品質は悪く販売代金は大幅に落ち込んだ上に、ICMと言う州の商品流通税が売上げの一六%課せられることになった。私には目も当てられない惨状である。
 一九六六年はこの様な苦境の中で始まった。前の作の借金がほとんど払えずに残った。次の作付けの金を借りるにも前の分を払わないと出してくれない。伯銀の借金の支払期日が迫っている。そんな時、市中銀行が六〇日の短期融資(パパガイオ)を出してやると言う。誰か一人、裏書してくれたらそれでよい。だけど利子は高い。でも背に腹は代えられない。それを借りることにして一まず伯銀に払った。でも、市中銀行の六〇日の期日はすぐにやって来た。今度はその市中銀行に払うために別の市中銀行から借りた。借りる時の裏書きは主に谷脇さんにやってもらったり、又、私も裏書きをしてやった。これはカングエーラの仲間達も同じ状態であった。市中銀行だけでは物足らず一般の肥料や農薬会社からの現物もかなり借りていた。
 市中銀行との取引は段々とエスカレートして行った。どこか借りられそうな銀行があると飛んでいって借りる様になり、この悪循環が頂点に達した時には八~一〇の銀行と取引きしていた。この様な状態がどれ位続いただろうか。多分一年半か二年位も続いただろうか。ついに破綻の時がやって来た。
 私達の場合、谷脇さんが一番に音を上げた。「もう俺は資金繰りが出来なくなった。お手上げだ。慧さんには悪いけど破産する以外はない」こんなことになるのは私にはとうに前から解っていた。段々と借金の泥沼に引きずり込まれる情況は察知しながらも、もう自分達の力ではどうすることも出来なかった。カングエーラ区の仲間達もシツアソン(経済状態)の悪い者から倒れていった。お互いが連帯保証なので裏書している人に支払い能力がないと共倒れと言うことになる。
 銀行という所は期日にちゃんと払えば優良顧客であるが一日でも遅れたら要注意人物となり、一ヵ月も遅れるとカルトリオ(証書役場)から取り立て通知が来る。二カ月目にはプロテストと言って官報のブラックリストに名前が出る。それでも払わないと伯銀の場合は担保物件の差し押さえ。その後は官報に競売の通知が載ることになって競売が行われる。競売で入金した分の分け前の優先権は伯銀にあって、まだ残りがあれば他の債権者ももらい分がある。

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