連載小説=自分史「たんぽぽ」=黒木 慧=第24話

 この様に森田さんご夫妻は私共コチア青年にとっては非常に理解ある人であったし、私共も懸命に働いてその期待に応えた。この様に森田農場での一ヶ年が過ぎる頃、つまり次の年の七月に森田さんの奨めで、まず年輩の田原君からモインニョベーリョの試験場で毎年行われている農村男女青年講習会に参加させてもらう事になった。一ヶ月の講習である。森田さんの十六才になる長女の幸子さんも一緒に講習を受けることになった。ところが、この一ヶ月の講習中に田原君が大きな問題を起こしてしまったのである。二十三才の田原君が講習所で一人の講師の助手、中尾チエと呼ぶ女性と熱烈な恋愛関係に落ち入ったのである。それもそれを池辺というおばちゃん講師が仲を取り持って奨励しているとの話で、講習が終わり森田農場に帰って来た田原君に森田さんは怒り心頭に来て、それから雰囲気が気まずくなり田原君はこの農場を出る事になってしまった。森田さんにしてみれば何のために田原君に講習の機会を与えたのか、森田さんの怒る気持ちも解るのである。
 田原君がいなくなったことで、その分私の仕事は一層忙しくなってきたのであるが、この年(一九五六年)の十一月に家族移民で高知県葉山村出身の谷脇清重さんが配耕されて来た。私より九才年上で、奥さんのさえ子さんとみちと純一の二人の子供がいた。この家族こそが森田農場でのカマラーダ(雇われ人)時代から独立営農後、お互いに助け合って来た仲間であった。

モインニョ・ベーリョの農村青年講習会に参加

 その年が暮れ、一九五七年の新しい年が明けると、やがて出戻りコチア青年、愛媛県出身の丸山けんいち君が配耕されて来て、森田さんも段々と事業拡張を計っていた。でも、七月に行われる青年講習会には今年は私を参加させる約束をしていたので、田原君の二の舞をせぬ様にと念を押されて参加する事になった。もちろん今年も森田さんの長女幸子さんも参加するという事で監視付である。そうしたら、森田さんから五〇〇㍍位離れた所の森田さんの親戚の塩見さんに配耕されている、第二回生北海道出身の松川公三君も一緒に参加させるという事で、私も相棒が出来て心強い。モインニョ・ベーリョ試験場での講習が始まると、もう一人のコチア青年がいた。これも森田さんの親戚の片山かく美さんの農場からやって来た坂元君で、鳥取県出身である。

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