ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(194)

山下博美さん(写真は名波正晴氏提供)

 そのうち、敗戦派の皇室の尊厳を侵し、国家を冒瀆する言動を見聞するようになった。
 天皇を穢された時は我慢できなかった。
 「日の丸なんて、白い布を女房の股に当てておけば、簡単にできるサ」
 と、平気で口にする者も出始めていた。
 日高は仕事が手につかなくなった。
 そうした時、前記の州警兵による日の丸事件が起きた。
 既述の日の丸事件の時の日高の話は、この時に聞いたものである。
 警兵に拘引・留置され、釈放後、日高は臣道連盟ツッパン支部青年部の中川という隊長に進言した。
 「何らかの行動を起こすべきだ」
 と。
 が、中川は、時期が早いの、遅いの…と逃げた。
 そこで、行動を起こす意思はないと見て、連盟とは遠い所に自分を置いて行動することにした。
 遠い所に自分を置いて…とは「関係なく」の意味である。
 青年部には、同志に誘いたい仲間が二人居たが、その親たちが支部の役員をしていたので、秘密が漏れると警戒、誘うことを止めた。
 後で、その二人から
 「何故、自分たちに声をかけてくれなかったのか?」
 と恨まれた。
 結局、連盟員ではなかった北村や山下と相談、敗戦認識運動の中心人物を襲撃することにした。
 日高は、それを決意するに際して、
 「戦争の勝敗を論じたことは一度もない。動機は、戦争の勝敗問題ではなかった。他の人たちも、そうであったと断言できる」
 という。
 右の襲撃目標や動機に関する話の内容は、押岩談に出てくるそれに酷似している。一つの世論になりつつあったのであろう。
 三人は決意してサンパウロへ行くことにした。勿論、自分たちも命は捨てる覚悟だった。警官に撃たれることもある、と。
 若かったせいか、死ぬことを恐れなかった。
 「誰かをヤレバ、邦人社会の指導者たちが反省してくれ、混乱を収める手を打ってくれるだろう、と思っていた。
 ところが、それが実際には蜂の巣をつついたような結果になってしまった」
 と、日高は苦笑いした。
 蜂の巣をつついたような結果とは、彼らの行動に刺激されて起きた(と観られる)多数の襲撃事件のことである。
 ただ、決意した段階では、実際にはどうしたらよいのか、見当もつかなかった。
 そこで、ポンペイアの横山重男という年長の知人に相談した。すると、
 「そうか、お前たちが、そこまで決心したのなら…」
 と協力してくれた。
 横山が話を繋いだのが、前記の新屋敷である。
 かくして決起者はキンターナ、ポンペイア、ツッパン三地域の十二人となった。
 内八人が三十歳を超しており、多くが結婚して家庭を持っていた。四人が二十代で独身であった。
 なお横山重男は、前章までに何度か登場の白石静子・悦子姉妹の叔父(姉妹の母カズエの実弟)であった。
 妻子と共に白石親子と、同じ敷地内にある別々の建物に住んで、印判の製作や銃器の修理を職業としていた。
 横山は戦勝派であり、地元の臣道連盟の幹部と親しくしていたが、自身は属していなかった。
 「連盟には売名目的の人間も入っておる」
 とも言っていた。

 山下博美

 筆者は、後日、日高の紹介でサンパウロで山下博美と会うことができた。
 この人についても、七章で記したので、 簡単に繰り返すと、日高と同様、全く元テロリストという感じはしなかった。(澄み切っている!)と感じた。無論、人柄のことである。
 少年時代は、忠君愛国教育を受けて育った。
 決起当時のことを訊いてみた。
 「その頃、日高、北村と、いつもそういうこと(日高が言った様なこと)を話していた。
 が、警官が日の丸で靴の泥を拭ったという事件以降、自分たちの考え方が固まって行った。行動を起こす方向へ…」
 と話し始めた。(つづく)

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