佳子さまが慰霊碑に献花=笑顔で日本館の鯉に餌やり=ご両親のイペーの横に桜植樹

 5日朝、グアルーリョス国際空港に到着された秋篠宮文仁親王の次女・佳子内親王殿下(以下、佳子さま)は15時頃、ご来伯最初の日程として、サンパウロ市イビラプエラ公園の開拓先没者慰霊碑を訪れて献花され、深々と頭を下げられた。その後、日本館へ移動され、記念植樹、鯉の餌やり、禅の庭園のご視察などをされた。初日最後の日程はジャパンハウス訪問だった。

開拓先没者慰霊碑に深々と頭を下げる佳子さま

 清楚な黒いワンピースに白いジャケットをお召しになった佳子さまは、ブラジル日本都道府県人会連合会の谷口ジョゼ会長の出迎えを受け、開拓先没者慰霊碑の階段を登り、碑の前に置かれた花環に触れ、ゆっくりと一礼された。谷口会長から由来の説明をお聞きになり、県連役員らが見守る中、静かにご記帳された。
 開拓初期に入植した日本移民の多くはマラリアなどの風土病で斃れ、コーヒー農園や入植地の片隅に葬られたまま無縁仏になった人が多くいた。その実情を見た当時の日本海外移住家族会連合会の田中龍夫会長、藤川辰雄事務局長、和田周一郎県連会長らの尽力により1975年に碑が建立され、ちょうど半世紀の節目を迎えた。
 谷口会長は「無縁仏は少なくとも530柱あり、もっとあちこちに散らばっている。そのような初期移民の犠牲の上に今の我々がいるという話をご説明差し上げたら、『とても感動しました』と言ってくださいました。とってもお心の優しい方だと思いました」と感想を語った。

西尾ロベルト会長と共に桜を植樹される佳子さま

 続いて日本館に向かい、ブラジル日本文化福祉協会の西尾ロベルト会長の出迎えを受け、まず奥の日伯就航100周年記念碑で説明を受けた。その手前にある日伯修好120周年でご来伯されたご両親である秋篠宮文仁親王殿下同妃紀子様(現秋篠宮皇嗣同妃両殿下)がご来伯された際に植樹されたイペーのすぐ横に、桜を植樹された。西尾会長と一緒にスコップで土をかけ、ジョウロで水をおかけになった。

鯉に餌やりをしながら、相良クリスチナさんからイビラプエラ公園の説明を聞いて笑顔を浮かべる佳子さま

 その後、日本館内に移動し、同館運営委員長の奥原常嗣(ジョージ)さん、西尾会長、相良クリスチナ泉さんら同館建設の歴史などの説明を受け、池の鯉に餌やりをされ、明るい笑顔を浮かべていた。その後、箱庭のような禅の庭園に移られ、鑑賞された。 この日本館は昨年8月に70周年式典を行ったばかり。この建物はサンパウロ市400年祭に合わせて1954年、桂離宮を模して設計され、日本から宮大工を読んで突貫工事を行い、釘を使わず、わずか4カ月で建設した。柱や瓦はもちろん玉砂利にいたるまで日本から持ってきた〝純和風〟建築として世界的にも珍しい。終戦直後に日系人同時が血みどろの争いを繰り広げた勝ち負け抗争の傷跡が残っていた当時、日系社会を再統合する動きの発端になったのが、この日本館建設プロジェクトだった。
 西尾会長によれば、佳子さまから「壁の外に綺麗な黄色い花が咲いていますね。どの季節に日本館を訪れるのが一番お好きですか?」と尋ねられたという。西尾会長は「季節を問わず、ここに来ると静寂と平和を感じてホッとする。このここから100メートル離れたら混雑した車道になり、クラクションがひっきりなしだから」と答えたという。

西尾ロベルト文協会長から、禅の庭園に関する説明を受ける佳子さま

 帰り際に佳子さまから「今植えた桜が咲いたら、また来たいですね」と申されたので、「3年後に日本移民120周年がありますので、よろしかったらぜひ」とお誘いしたら笑っていたという。  最後に見送りに並んで日本館の職員全員に、佳子さまは握手をされて労われた。西尾会長は「最後の一人と握手し終わった瞬間に、雨が降り始めた」と驚いた表情で報告した。ブラジル人職員に「皇族と握手する日が来ると想像していましたか?」と西尾会長が尋ねると、「まるで映画の中の出来事みたい」と答えて喜んでいたという。
 その後、佳子さまはジャパンハウスをご訪問になり、現在展示中のペーパーログハウス、大阪・関西万博展などをご覧になった。

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