私が猫なで声を出しながら、よくよく見ると、トイレの砂を足でけりあげていたではありませんか。それは、ちょうど無断で使ったのは、誰だ!と
使ったら、使ったで、何故後始末をきちんとしないのか!と抗議しているようでした。
私はなんとなく恥ずかしくなって、顔を赤らめたのですが、何も猫一匹のために顔色を変えるなんて、と考え直し、そのまま深い眠りについたのです。
私のマンダカールの生活は、このようにして幕を開けました。
でも、それはサンパウロの人たちにはとてもお見せできない惨憺たるものでした。
バスを使って行った、ジェキエーの町には、猫のトイレ用の砂などどこを探してもありませんでした。しかし、ある店をのぞくと、牛馬の鞍や轡、手綱、鎧が並んでいて、その向こうに猫の餌袋が積んでありましたから、ここなら売っているに違いないと勝手に思い込んで、店の中に声を掛けました。
「猫用の砂を下さい」
日本人が現れたというだけでも大変な驚きぶりでしたのに、加えて前代未聞の商品の名を言われたものですから、店員たちは目を白黒させて、互いに知っているか、いや知らないと全く困りはてたというそんな素振り。
すると、奥から店主らしい人が出てきて、「そういう商品は扱っておりません。例え、それがあったとしてもいったいどこの誰が買うでしょうか?
ここでは、家の外はどこもかしこも猫のトイレなのです。」と言い、こう付け加えたのです。
「さすがは経済大国ですね。猫までトイレを持っているのですか」
その感嘆とも皮肉ともとれる言葉に、本当は私用のトイレなのよと、どんなに言いたかったことか・・・・。
通り過ぎる荷馬車や愛馬にまたがるカウボーイたち。
そんな中を私は西部劇の通行人を演じている気分で歩き回りました。
しかし、けっきょく砂はありませんでした。
帰りのバスの通路は、朝市の帰りでしょうか、籠に積まれたバナナやマンゴー、パパイアでいっぱいでした。
中には、足を縛られてうつろな目を投げている鶏もいました。(つづく)