「伯国政府は、日本帝国軍人陸軍大佐の待遇をせられたい。大佐の官等級は一個人脇山のものではなく、日本帝国のものである。帝国の威信のために、これを要求する」
と迫った。これには課長も、
「直ちに上司に具申して沙汰する」
と応じたという。
なお軍人の場合、退役しても「大佐」などの官位は、そのままである。「元大佐」とはならない。
脇山は、在サンパウロのバストス出身者の奔走もあって、釈放された。ただ事情があって、そのまま市内に留まった。
その三。
ある一夜、サンパウロ市内ピニェイロスのバールに七人の日系人が居って、四人が玉突きをしており、三人がカフェーを飲んでいた。
その店の前を行ったり来たりして、中を睨んでいた男が、突然、店に入ってくるや、大声で、
「ココに居る日本人、全部動くな、これから警察へ連行する」
と叫んだ。
男は、下っ端の刑事で、警察に着くと上司の係長に、彼らが日本語で夢中になって話していた、と報告した。
ところが、カフェーを飲んでいた三人の内の一人が、えらく達者なポルトガル語で、反論し始めた。
「この刑事の言うことは嘘である。他の四人は、夢中で玉をついていた。
自分はブラジル生まれなので、日本語よりブラジル語の方が話しやすい。他の二人と傍にいたブラジル人とブラジル語で話していた。その傍に居たブラジル人を証人として呼んでくる…」
慌てたその刑事が、
「この日本人たちは、ブラジルの悪口を言っていた、と知らせた者がいる」
と声を張り上げた。対して、その日系人は、
「私はブラジル市民として、ブラジルの軍隊に入り、国旗の前に忠誠を誓った者である。ブラジルの悪口を言ったといわれては、残念です。
一通行人の根拠なき言葉を信じて、ブラジル軍人としての名誉を傷つけられることは、とりも直さずブラジルの国家の威信を傷つけられたことになる」
と「ブラジル」を連発しながら、係長に軍隊手帳を提示した。
これに係長は首肯、下っ端刑事の過失を認め、七人に謝罪、釈放した。
その四。
これはリオの中央市場でのできごとである。
ここでは、いつも国際ニュースが掲示板に貼り出され、市民の人気を集めていた。時刻によっては、大勢の人間がその前に立つので、後ろの方は読めないほどだった。
ある時、二人の男がやってきて読もうとしたが、前の青年の頭が邪魔になった。見るとジャポネースである。そこで、一人が口汚く罵り、場所を空けろと迫った。
青年は二人を鋭い眼光で見据えていたが、視線を再び掲示板へ戻した。周囲の人々は心配そうに見ていた。
無視された二人の内の一人が興奮「刑事だ!」と名乗り、殺気立った。
それでも青年、馬耳東風。刑事と名乗った男が体当たりしようとした。青年がヒラリと躱したので、つんのめった。立ち直ろうとした処へ、青年の拳が顎を一撃。男はブッ倒れてしまった。もう一人は逃げ出した。
青年はその場を去らず、やがてやってきた数人の警官が居丈高に連行しようとすると、黙ってポケットから手帳をとりだして見せた。
手帳には陸軍予備役騎兵中尉とあった。警官たちは、急に姿勢を正し敬礼した。青年は彼らと警察に向かった。
一部始終を見ていた人々の口から口へ話が伝わり、評判となった。
この一件は、話の筋が、昔の勧善懲悪モノの芝居か何かのようである。が、岸本書には青年の名前や出身大学まで記されている処をみると、これに近いことがあったのであろう。
また、邦人たちが力を合わせて、悪い企みと闘ったという話もあった。
一九四三年三月、サント・アンドレーの瑞穂植民地で、住民の追い立て事件が発生した。ある米国人による土地横領を狙っての企みであった。住民は団結、頑強に拒否、土地を守り抜いた。
コチアの痛快な大反撃
これら以外にも、迫害に屈しなかったという話は色々あった。その中で特筆すべきがコチア産組のそれである。
コチアでは国交断絶後、専務の下元健吉は、枢軸国系の企業に対する政府の出方を、かなり早い時点で知った。顧問弁護士フェラースが入手した情報によるものであった。(つづく)