小説=「森の夢」=ブラジル日本移民の記録=醍醐麻沙夫=113

 「これからは×印の処へは二度とコーヒーを植えるな。○印の延長に植えるんだ」
 運平は言った。
 皆はうなずいたが、力のないうなずき方だった。再びコーヒーを植える気力が湧かないのだった。他人のコーヒーを請負って苗から結実まで四年、面倒を見るだけで一財産作れるほど手間のかかる仕事だから、やる気が失せるのも無理なかった。
 「頑張ってくれ。もう一度コーヒーを植えてくれ」彼は声をはげまして皆の顔を見たが、人々はうなだれていた。
 「な、頑張ってくれ、ほれ、これが土地の証書だ。自分の土地だ。頑張ってくれ」
 彼は証書を一人ずつ渡しながら言い続けた。
 「ブラジルは結局、コーヒーの国だ。本当に成功するにはコーヒーしかない。もう一度植えてくれ。頼むぞ」
 言いながら、自分が無理を言っているのがよく分っていた。
 本当なら棉つみが終って現金が入り始める楽しい時期なのだ。それなのにバッタに喰われて棉は一本も生えなかった。その上、コーヒーがやられた。米は細々と食いつなぐしか穫れなかった。バッタの幼虫が去ってから蒔いた乾期蒔きの豆が穫れるが、売っても金額は高が知れている。油や石油や布や肉や……生きて行くために最低は必要と思われる品物を買う金の十分の一にも満たない筈だった。食い物もないのに重労働をしなければ前へ進めない。やっと前へ進むと自然が用意した陥穿が大きな口をあけて待っているのだった。
 皆がすっかり閉口たれているのは痛いはど感じている。一番参っているのは自分だった。しかしここで自分が弱気を見せたらもうこの植民地は無人になる。一年もしないうちに再生林におおわれ駅から来る途中にあった小屋のように森に埋ってしまうだろう。
 そうしたら何の為に此処で人々は死に、苦しんだのだろうか?何の為に……?
「皆、頑張ってくれ!」
 血を吐くような声で運平はもう一度叫んだ。気力の限界だった。
 「やります」
 山下が答えた。
 皆もうなずいた。痩せて、ボロボロの服を着た三十数人の家長たちの集団だった。
 七月、八月……寒さの中で森を伐ったり、狩をしたりして人々は生きた。
 やっと十月になった。棉、豆野菜の種まき、コーヒーの苗床作り、来るべき雨にそなえて毎日忙しくなった。
 もういくらなんでも、霜もバッタも来ないだろう。雨期には湿地帯へは蚊の出ない日中しか行かないように注意しているから、マラリヤの心配もあまりない。(つづく)

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