南米産業開発青年隊が慰霊法要=隊員家族ら43人で賑やかに

南米産業開発青年隊協会(渡邉進会長)は9月15日(日)、サンパウロ州イタペセリカ・ダ・セーラ市の円光寺で14回目の同隊員慰霊法要を行った。同寺には同協会員先亡者慰霊碑があり、会員とその家族ら約43人は、慰霊碑に祀られた先亡隊員の冥福を共に祈った。
法要では、円光寺住職による読経の後、参加者らで焼香をあげた。この慰霊碑は2011年に建立されたもの。
挨拶に立った渡邉会長(74歳、静岡県)は、「読経では、亡くなられた仲間の名前を一人一人読み上げてもらい、それを聴きながら懐かしく先輩方の顔を思いだすことができました。奥様方、子供たち、お孫さんまでご焼香して、とても厳かに行われました。亡くなった先輩方は仲間や奥様だけではなく、子と孫まで来てくれ、お線香をあげてもらったのでとても喜んでいると思います」と笑顔で述べ、5期の菊地義治さん(84歳、岩手県)は「このような慰霊法要はずっと続いてほしい」と語った。
8期の長田譽歳(おさだ・たかとし、84歳)さんも「道半ばで亡くなった仲間もおりますが、皆が長沢師の志を貫き、南米の地に青年隊有りと立派な足跡を残されたと思う」としみじみ語った。
慰霊祭後の親睦会は別室サロンで持ち寄りの料理が振る舞われ、参加者らは親交を深めた。寿司、おにぎり、梅干し、紅ショウガ、焼き鳥、焼き魚など自慢の手料理をお腹一杯食べた。会員家族の2、3世同士が時間の経つのも忘れて楽しく愉快に語り合い、最後に別れを惜しんでいた。
8期の早川量道(かずみち)さんによれば、今回は4期の曽我義成(そが・よしなり)氏の長男マルセロさんらが旗振り役になって、2世家族が同伴するように呼びかけたため参加者が増えたという。
建設省が主導する産業開発青年隊事業は終戦直後、農家の二、三男を技術者へと育成して国の復興に役立てる運動として広がり、農業や建設など様々な分野で活躍した。ブラジルへは1956年のパラナ州ウムアラーマ北方セーラ・ドス・ラードスへの第1次入植(17人)を皮切りに、計326人が渡った。同青年隊員の平均年齢は現在80代半ばだという。