小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=161・終

 何のために整地され、土饅頭があって草花が植えてあるのか。子供たちは知らなかったし、大人たちは黙殺していた。
―─俺はここまでやってきたよ。
 朦朧とした意識の中で信二は呟いた。良子がいなくなってから、信二はこの花園を見つけ、しばしば独りで訪れていた。ここに居ることが信二の心の慰めとなっていた。
―─俺は知ってるんだ。良子ちゃんがこの花園の下にいることを。それはあのどしゃ降りの夜だったよ。町に出るには道路は破損し、車は不通で、バス便さえなかった。その翌日、良子ちゃんは亡くなったんだ。良子ちゃんは、今、ここに眠っているんだよな……
 信二は虚ろな眼を向けた。しかし花園はいつものそれとは違い、すっかり荒れ果てていた。土饅頭は大きな亀裂となって、低地の方へなだれていた。その條痕を伝うように、一羽の白鷺が翔んで行く。その姿は、真っ白で、恰も少女の肉体のように見えた。
―─あれは、俺が追っていた白鷺だ。こんな所まで逃げ延びてきていたのか。
 信二は、白鷺を追いかけようとしたが、全く身の自由が利かなかった。
―─信二さん、良子は、もうここにいないのよ。去年の、あの雨季に、覚えてるでしょう。天地の割れ裂けるような雷鳴と篠つく雨が幾日も続いて、作物は雹に叩かれ、コーヒー樹は根を洗われ、川上の田畑に渦巻いた泥水は道路に濫れ、激流と化して低地へ低地へと押し流したでしょう。私の魂は彷徨い、あの豪雨とともに、バッタンの淵の底に流されてしまったのよ。あの美しい蛍たちの舞っていた淵の中に……
―─ああ、そうだ。聖なる俺の恋人は淵の中の《秘密の筐》で眠っているんだ。もう一度、あの聖壇を尋ねよう。
 信二は、鉛のように重いわが身に力を漲らせ、再び起き上がろうとした。

〈了〉

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