小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=102

 だが、手術後、三ヵ月も経つ頃から母の腹痛は増し、朝夕、鎮痛剤の服用を欠かせなくなった。きわめて涙もろくなり、あまり痛まぬ日など、
「パパ便がでた。我慢した甲斐があったわ。治るんだわね」と言いながら、わんわん泣いた。
 母は、私がそばにいると勉強のことや、炊事のことに注文をつけたり、雑誌に眼を通したりするが、少し場をはずしたりすると布団にうつぶして泣いていた。
「どうして良くならないんだろう。胃の手術の時は一ヵ月も経つと大分元気になったのに、今度はどうしたのか知らん。便秘だけなら我慢できるけど、お尻のむずむずするのはやりきれない。カズ、パパたち皆でママを騙しているんじゃない。ママはもう駄目なの。きっとそうだわ……」
 母は痩せた手で布団を叩いて悔しがった。私は医師を呼ぶ。医師はいいかげんな処方を置いて行く。それでも母は二、三日は医師の虚言を信じている。風呂に入ると腹痛が多少緩和する、と言うので毎日実行した。まるっきり骨と皮との身体を鏡面に映して、悲壮な面持ちになり、咽んでいる母をどう慰めていいのか。どれほど強壮剤を与えても、大事に看取っても甲斐なく、日々に衰えてゆく母をどうしてやることもできない。人智の儚さ。母が楽しんで飼っている雛鳥が成長するまで、可愛がっている仔犬が大きくなるまで、裏庭に植えたサトイモが実を結ぶまで、その生命が保つかどうか。そう思うと、家具や什器、家屋の周りの草木一本にも涙をさそわぬ物はない。
 服用の鎮痛剤は効用を無くし、モルヒネに近いソセゴン注射に変わった。鎮痛剤ばかりで痩せるのを嫌い、注射を敬遠するので本人の希望を容れて注射を見合わせたりすると、母は忽ち断末魔の叫びを上げて痛みを訴える。父は母を抱えて階段を駆け上がり、部屋に寝かせる。
「注射は直ぐだよ」
 と、階段を駆け降り、沸かしてあった注射器の湯滴を拭い、毎回少しづつ分量を増したソセゴンを投与する。五分も経つと、
「大分快くなった。眼の前がきれいな花園だわ。パパ、何も言わないで寝かせておいて」
 鎮痛剤で眠っている母の顔は、死人のそれだった。親戚の誰彼が、貴美子しっかりするんだぞ、と叫んだりすると、意識不明の筈の母は細い指を左右に動かし、眠っていないことを表示した。鎮痛剤がさめると、
「ママは休んでいるのに、何故、しっかりしろと起こすんだろう。うるさい。パパはうるさくないから、ずっとそばにいてね」
 と言ったり、瞼を潤ませながらやせ細った手をかざし、

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