小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=94

 母は何かで寝込むと、ママは弱虫だけどお前が一人前になるまで生きていたいと言い、親に早別れしたために苦しんだ経験を私に繰り返させない心遣いをしてくれた。父は絶えず、
「柳に雪折れなし。お前のような身体は誰より弾力があるんだ。この前も姉が、妹は勝ち気だから容易に死にやしない、と言っていたよ」
と笑わせていた。友人が、母の顔色の冴えないことを聞くと、『いつもこの顔なんだ。俺と結婚する前からこんな涼しい顔をしていたんだ。ジェンテ・ルイン・ノン・モーレ』(憎まれっ子、世にはばかる)などとからかう癖があったが、その友人が何かの弾みに、女房なんて早くくたばればいいんだがと切りだすと、父は実に神妙な顔で沈黙してしまう。病弱の妻をもって一日でも永生きをさせたい、と念じている父にしてみれば友人の言葉は実に残酷なわけだ。
 早く手術を終え、母が快癒してくれないと私は落ちつかない。私が進級できなかったら母は一層落胆するだろうことを思うと、やはり勉強はおろそかにできない。私が学校から帰ると、いつものように夕餉を整えていた母は、
「薬を飲んで、今日はずっと寝ていたけど、ちっとも良くならない。少しの食物でも胃につかえ、吐いてしまった。えらくて起きておれない。やはり手術するね。仕方がないもの」
と言った。決心はついたものの、如何にも残念そうな口ぶりだった。
「明日の朝出かけられるように寝間着などを整えておいた」
 部屋はすっかり片付いていて、片隅に私の幼時のおむつ入れに使用した皮袋一杯に何かを詰め込んであった。
 その夜、父は母が手術の決心のついたことを、近くの母の姉に知らせた。遠方の親戚には迷惑だから後日知らせようという父の考慮などよそに、通知を受けた者は処かまわず縁故に電話したので、翌日早くから遠近の親戚が駆けつけ、家の中は伯父や伯母、従兄弟たちで満杯になった。
 これが見納めとでも思うのだろうか、大きく溜息をついたが、母は泣き崩れることもなく、また病院にきてくれるねと言った。子供らは何も知らなくても、居並ぶ義兄義妹たちは居たたまれぬ様子で、顔をそむけていた。入院には私が付き添った。血液検査、輸血、休む間もなく看護婦や医師の出入りがあり、夜に入って再び半リットルの輸血がおこなわれた。母の顔色は、もはや手術の要はないほど冴えた。

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