小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=86

律子の憂鬱
 
 荒っぽい独りよがりの手紙ではあったが、隆夫を取り巻く人びとの心境がある程度読めるものだった。情報不充分で身動きできなかった世相にあって、忠君愛国の精神をもてあましていた彼らにとって戦勝ニュースは、日頃の鬱憤を晴らしてくれる何よりの朗報だったのだ。同じ世代を生きてきた律子には理解のできる争いだった。彼女は、いつの間にかペンを執っていた。
 
隆夫様へ
 貴方の選んだ行動に対して、私はどうこう言う資格はありません。ただ、日本の勝敗は別としても、邦人社会に擾乱を惹きおこし、同胞が殺害されつつある事実は、何とも悲しいことです。
 隆夫さんが師と仰いでいた脇山甚作さんも犠牲になりました。戦時中、脇山さんのとった行動は元軍人として当然だったでしょうし、終戦と共に《興道社》も解散され、自忍自重の生活を送られていたということなのに、あの結果になって気の毒でなりません。先日、脇山さんの奥さんからお便りがありました。そこには、
《脇山は建前と本音が異なっていました。私たちにもその本心を掴むことができなかったほどです。バストス植民地はご存知のように勝ち負け両論が相反して収拾がつかず、バストス産業組合の溝部さんは友人を介して脇山に、日本からの正しい情報が入るまでお互いに自重すべし、という一文を依頼してきました。脇山なら戦勝を信じている同胞を説得する力があるだろうとの考えからでした。脇山は書いたが捺印はしませんでした。敵対視されることを避けていたのです。それほど慎重を期したにも拘わらず、あのような最後になって何とも残念です》
 と記してあったわ。脇山さんだけでなく他の犠牲者も同じ悲しみに暮れていることでしょう。父に宛てられた脇山夫人の手紙と、隆夫さんからの手紙を手にして、私の心はとても複雑です。同じ教育を受け、同じ愛国心で生きた同胞が、こんなことでいがみ合っていいのか。実に情けないことです。一日も早く和解しあい、平和な邦人社会に戻ることを祈ってやみません。隆夫さんや山路さんの拘置されているアンシェッタ島とは、緑豊かで海水の澄んだ景勝地と聞いています。ぜひ一度、訪問するつもりです。

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