西原町人会創立50周年式典開催=崎原町長や南米の代表者ら出席=「ぜひ研修制度の存続を」

西原町からマスコットなどのプレゼントを受け取った新里会長(中央)、左が大城純孝(よしたか)町議会議長、右が崎原盛秀町長

 ブラジル西原人会(新里明マルコス会長)は21日午後5時、サンパウロ市のヴィラ・カロン沖縄県人会支部で、創立50周年式典及び祝賀会を開催した。西原町からの崎原盛秀町長、大城純孝(よしたか)西原町議会議長ら慶祝使節団に加え、ペルーやアルゼンチンの西原町人会代表者も出席し、約200人で盛大に祝った。
 同会は、1973年に西原町出身の平幸市(たいらこういち)県議会議長がブラジルを訪問した際に、同町出身者が集まって歓迎したことをきっかけに同年の年末までに発足。以来、節目の半世紀を迎えた。
 最初に先亡者に1分間の黙祷が捧げられ、新里会長から「先人はブラジルで稼いだお金をどんどん故里へ贈り、貢献した。ここには小波津、与那嶺の姓を持つ人が沢山いる。この絆を保つために、海外移住者研修生制度をぜひ継続してほしい」と自身も2016年に研修に行った経験の貴重さを挨拶で語った。
 ペルー町人会の小波津マリア・ルイザ会長、アルゼンチン町人会代表として呉屋マリアナさんらも挨拶に立ち、続いてブラジル沖縄県人会の高良律正会長が「沖縄の文化をこの大地に植え付け、伯国発展に貢献した先駆者の役割を忘れてはいけない」と語った。
 続いて西原町議会の大城純孝(よしたか)議長は、1908年の笠戸丸移民にいた29人の町民から歴史が始まった歴史を述べ、「30年が経過した研修生制度の成果は心強いもの。益々のご活躍を」と期待した。
 崎原盛秀町長は最初ポ語で自己紹介をして会場を驚かせ、「故郷を遠く離れたブラジルで、西原んちゅ(西原出身者)としての誇りを保ち、伝統芸能を続けている皆さんに、町長として感無量の想いです」などと述べた。
 2019年度の研修生、宮平ダニロ輝明(てるあき)さんが充実した研修期間の出来事をスライド写真などで説明した。南米の各町人会と使節団の間でプレゼントが交換され、西原町から当地の80歳以上の高齢者に感謝状と記念品が贈られた。

諸見里安吉さん(左)とその家族

 当日最高齢の97歳、諸見里安吉(もろみざとあんきち)さんが乾杯の音頭を取り、豪華な日本食を振舞われた。玉城流玉扇会の琉球舞踊、トントンミーの歌謡、沖縄空手の型などが次々に披露された。
 会場にいた沖縄空手普及で有名な与那嶺育孝さん(83歳、同町)に聞くと、2年前まで10年間、同町人会会長を務めていたという。「イベントをするといつも2~300人集まるけど、周年式典はボクが会長だった時代に行った45周年が初めてだった。若者に活動をつなぐために、それまで知られていなかった研修制度を周知して、若者に次々に行ってもらい、親戚の家などにホームステイしてもらい絆を強めた。今の会長らはみんなその研修生なんです」と目を細めた。

後ろが上江田正二、左が与那嶺章さん、右が小波津光範さん

 一緒に座っていたほぼ同年代で子供移民の上江田正二(うえたせいじ、73歳)、与那嶺章(あきら)さん(74歳)、小波津光範(みつのり)さん(75歳)に話を聞くと、「3人が集まるといつもウチナーグチで話をする。日本語より、ポ語より、その方が伝わる感じがする。沖縄では僕らの年代ではこんなにウチナーグチをしゃべらないのでは。僕らは日本のウチナーンチュ(沖縄県人)より、ウチナーンチュらしいかも」と笑った。
 町長・議長ら使節団は翌22日、マット・グロッソ・ド・スル州カンポ・グランデの町人会の集まりに出席し、23日の便で帰国した。

全員で記念写真

最新記事