小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=67

「反抗すると撃つぞ」
 別の兵が銃をかまえた。律子たちはなすすべを知らず、おどおどと震えている。黙って腕を組んでいた田倉は、やにわに部屋へかけこんだ。隠してあったピストルを握り弾丸を填めた。(十何年、血の汗を流してやっと購入した土地をおめおめと、こんな奴らに横取りされてたまるものか。自分が犠牲になっても家族の土地は守ってみせる。この六発の弾が今日の勝負だ)
 田倉は、必死の覚悟をすると、戸外を窺った。律子が田倉にしがみついた。
「お父ちゃん駄目、駄目よっ。計画的にやってきた男たちに手向かっても勝ち目はないわ。ピストルを使うのはやめて」
「サインをすれば、土地は失うのだぞ」
「この場合、他に方法がないじゃないの」
 二人は、やっと田倉を説得し引きとめた。
 浩二と件の男は相変らず口争いを続けている。電話があるわけでなし、隣家はかなり離れていて事の成り行きを知らせる手だてもない。
 結局は、相手の暴力に押しまくられた恰好で、書類にサインせざるを得なかった。近隣の六家族も同じように被害をこうむったのである。
 夜分、植民地の男たちは中央部にある斉藤多助の家に集まった。斉藤は古い移民で、息子の芳雄はブラジル語に達者であった。達者であるがために相手をやりこめた喧嘩の挙句に頭を白い包帯で巻いていた。
「理づめで追いつめると、暴力に訴えるんだから始末がわるい。それで親父は怯えてサインしてしまった」
「ドイツ軍が連合国側に降伏した。日本の敗北も時間の問題だ、などと言いやがる。その驕りが今日の悪計とつながっているに相違ない」
「戦勝の休日である兵士どもをうまく動かしてやって来たんだ、きっと」
「それで、この件はどうなるんだ」
 浩二は他に言葉を知らなかった。サインしたのが失敗だったとは解っても、あの場合、それに対処する術がなかった。夜を更かして協議したが名案が浮かぶわけもない。
 翌日、町の弁護士に相談することになった。弁護士は、
「君たちの土地売買契約書は正しい。しかしサインしたのは失敗だった。それを取り消すための複雑な手続きが必要だ。そして、今後、相手の如何なる要求にも応じてはならぬ」

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