小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=59

 浩二は小首をかしげて姉から離れた。半ズボンの少年が、ここ二、三年の間に姉と対等に話せるようになった。浩二にとっては一つの進歩だと考えていたが、姉から見れば、急に小生意気になった弟は、煙たい存在でもあったのだ。
 律子は、騒ぐ胸を抑えるようにして、封を切った。
 すっかり御無沙汰している。この手紙はだいぶん前に書いたものだが出しそびれていた。しかし、これを今話しておかないと俺の立場は誤解されたままと思われるので、改めて投函しておく。あの日、俺への同情からだったかも知れぬが、君は強く抱きついてくれた。それまでも好意を寄せてくれたから、あの時、すべてを許されたものと思い、あのような行動にでた。が、やはり、俺には君を理解できていなかった。あの日、俺は家出を決心していた。独りより君が一緒に行動してくれたら気強いし、もちろん賛成してもらえるものと独り決めにしていた。そして、それが間違いであることを知った。君と一緒にいると何でも語ることができたし、理解されているという安堵感があった。俺は、愚かにも、それを愛だと早合点していたのだ。女性の心理など何も掴んでいなかったのだ。
 俺はもっと修業を積まねばならない。古くに言う武者修行という奴だ。その意味も含めて家出の決心は固まった。そういう出で発ちに君を道づれにしようなんて、無謀な妄想であったことを今になって知った。お詫びする。何年先のことか解らぬが、俺がもう少しましな人間になれたら、もう一度君のところへ戻って行きたい。その時、君が身も魂も投げ出した抱擁をしてくれることを信じている。
 あの日の深夜、俺は、小包みを手に十キロ先の岡野宅を訪れた。無一文の俺はどこへ行くにしても路銀が要るので彼から十五ミルレイス無心した。そして郡道へ出ると折よくやってきたジャルジネイラに乗った。マリリア行きだった。その小さな町の萬平ホテルに投宿した。
 その宿の主人の言うところではキンターナ地方には日本人が多く入植していて、肥沃地だから将来が期待できる。無料同然の原始林はいくらでもあるし、往く先に迷っている君にはうってつけの地方だよ。行ってみてはどうか、と靴を一足俺にくれた。俺はその言葉に励まされこのキンターナ地区にきた。朝日植民地と名づけられた土地で、棉、稲、コーヒーなどが主産物だ。俺が着いたのは日曜日で、植民地の男女がこぞって日本語学校校舎を建築中だった。責任者の月田という人に仕事を探していることを話すと、猫の手も借りたい毎日だからと、素性を訊くこともなく雇ってくれた。一年に四〇〇ミルレース払うと言う。いい給料とは言えないが、寝食は彼の家を提供してくれたので我慢することにした。

最新記事