小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=34

 翌日、田倉は仕事には出たものの、午後になって、悪寒に襲われた。コーヒーの樹蔭に横になり、上着を肩からかけ、弁当入れの袋を頭から被ったが寒さと震えが治まらない。三〇分も過ぎて悪寒が去ると、次に熱が出はじめた。冴えなかった顔色が紅潮して、今度は被っていた物を次々と投げ捨てた。我慢強い田倉であったが時々うめいた。四〇度近い熱はありそうだ。同じ時刻に寒気と高熱の発作が反復することから、マラリアであることが判った。
 田倉は日本からキニーネを用意してきていた。その白い丸薬を、処方箋どおりに服用したが、一向に効かない。内臓をこわし、丸薬はそのまま下ってしまう。マラリアに罹病すると肝臓障害を起こし、食欲減退、痩せが目立って活力がなくなる。週に一度は町から本耕地へ医師の出張があるのだが、耕地の移民は言葉の不自由なのと、道程が遠いこともあって、容易に診察を受けようとしない。時間のロスだと言う者もいたが、田倉の場合は、診療費が無かった。
 田倉は日ごとに痩せていった。それでも仕事は休まず、悪寒と高熱の出る時間を見計らって樹蔭で休み、熱が退くと仕事を続けた。そういう養生のない生活を繰り返しているうち、ついに歩行が困難となった。
 田倉は高熱に襲われ、失神した。家族は揃っていたがどうしたものか解らず、おろおろするばかりだった。律子は必死に冷やしたタオルを父の額にあて続けた。
 はぎも病み上がりの身を寄せたが、言葉一つも口に出さず、家族の不運を諦観しているような眼差しで、やつれた夫を見ていた。
「本耕地の医師にかかることもできないし、頼みにしていた八代さんたちも居ないし、どうしたらいいやろ」
 と、律子は涙声になった。ここで父親に死なれでもしたら、病弱な母親と、三人の弟妹をどうして養えるのか、前途は真っ暗だ。いくら気丈夫な律子でも、一人の働きで一家を支えきれないことは、今日までの経験でよく解っていた。親と子の沈黙の永い時間が過ぎて、ふと見ると田倉は充血した両眼を瞬いていた。
「律子、おるか、おお律子か。お母ちゃんもいる。皆いるんだな。お前たちよく頑張ってくれた。大分余裕ができたさかい、正月になったら裏の植民地へ移った吉川さん所へ行ってもち米を分けてもらい、それから豆腐や醤油も探してきて、正月を祝うんや。そしたら皆一遍に元気になれるやろ」
 一家にそんな余裕はない。それは田倉の囈言でしかなかったが、とにかく眼を開けてくれたことに家族の者はほっとした。

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