《特別寄稿》ハイパーインフレの思い出《1》突然襲った預金封鎖の恐怖=サンパウロ市 水澤正年

〈1〉インフレの世

1991年、大統領府で演説するコーロル大統領(Radiobrás, via Wikimedia Commons)
写真1―2=1980年代から90年代までの月間インフレ率と経済プラン(Bageense, via Wikimedia Commons)

 一九九〇年三月十六日金曜日、私は、首都ブラジリアからサンパウロに飛んでいた。勤め先の旅行社の仕事でブラジリアに行った帰りだった。
 前日の三月十五日は、軍政から民政に移管されて六年、はじめての直接選挙で選ばれたブラジル第三十二代大統領、フェルナンド・コーロル・デ・メーロの大統領就任式があった。
 そのため、ここ数日のブラジリアは、各国の大統領や首相や王族やらの賓客が多く訪れていて、街中がお祭り気分のように、そわそわうきうきとして、首都は落ち着きがなかった。
 私が、サンパウロ近郊のグアルーリョス国際空港に着いたのは、定刻の午前十時二十分を十五分ほど過ぎた時刻だった。飛行機を降り、空港ロビーを出て、通りかかったタクシーをつかまえてセントロに向かった。
 私は、五日ぶりのサンパウロが懐かしかった。たった五日間の不在だったが、着いたとたんに何かほっとした。空港を出ると、タクシーはチエテ河沿岸を走る高速道路の渋滞に巻き込まれた。河沿いの高速道路の渋滞も、ドブ河と化して真っ黒ににごって流れるチエテ河の眺めも、その悪臭も、何やら懐かしい。タクシーがセントロの我が社に着いたのは、十二時に近かった。
 会社に着くと、金曜日の昼の社内は、なぜか、ざわざわと落ち着きがなく、がやがやと騒がしかった。外は晴天の陽光で、社内には窓から外の明かりが十分以上に射し込んでいて、室内照明などいらないほど明るいのに、なぜか暗く感じる。
 社内が、目に見えない不安と不審に取りつかれているようだ。事務所の入り口を入ると、すぐ受付のL字型のカウンターがあり、そこを迂回し、その奥の自席まで行くと、その前で、社長が会計担当者と深刻そうな顔で立ち話をしている。気になって、私もその立ち話の輪に入って、「どうしたんですか。何かあったんですか」と社長に訊いてみると。
 社長は、私を振り向きながら不可解な顔をして、「コンフィスコになったんだって」とこたえた。
 「コンフィスコ」とは聞きなれないポルトガル語だ。私はこの国の国語であるポルトガル語はずいぶん話せるつもりでいるが、この言葉にはまったく馴染みがない。聞いただけでは何のことかさっぱりわからないので、「コンフィスコって、何のことですか」とまた社長に訊いてみると、「コンフィスコってのは、預金封鎖のことだって」と社長が言った。
 昨日、発足したばかりの新政権が、早速、新経済プランを発表し、そのなかに「預金封鎖」が入っていたのだそうだ。私はブラジリアでの仕事のあと、サンパウロに帰ることばかりに気を取られていて、新政権が発表した新経済プランのことにはまったく気がつかないでいた。
 がそのとき、私は一昨日の昼ごろだったか、ブラジリアの議員会館で知り合った社会民主党の日系下院議員が、手に持った現金の束を見せつけるように上下に振りながら、「あなたも、早いとこ銀行から金を引き出しておいた方がいいよ」と警告していたのを思い出した。
 それがこれだったのだ。彼は国会議員の伝手で、新政権が発足直後「預金封鎖」をすることを知っていたのだ。
 当時、ブラジルはハイパーインフレの真っ只中の時代だった。
 この国では、しつこく蔓延しつづけるハイパーインフレを撲滅するために、これまでもいくつもの経済プランが計画され、施行されてきた。
 それらの経済プランの代表的なものは、一九八二年二月に施行された、物価スライド制の廃止、価格の凍結、賃金の抑制、為替レートの固定化、などを柱にした「クルザードプラン」であり。一九八九年一月に施行された、物価、賃金、年金の凍結。為替レートの固定化。国営企業の民営化。公務員の大量削減など、価格凍結と緊縮財政を柱にした「サマープラン」だった。
 だが、クルザードプランは施行から一年ほどで、サマープランは施行からたったの半年ほどで、というわずかな期間で、それぞれ失敗におわった。そして、一九九〇年三月時点のブラジルは、またまた一日一パーセント、月間五十パーセント、年間二千パーセントという、ハイパーインフレの時代に戻っていた。
 そのハイパーインフレの世の中では、当然のことながら、ものは何でも値上がりする。食料品や日用必需品、その他もろもろの値段が随時値上がりしている。水道料金。電気料金、ガス料金、市営バスや郊外電車や地下鉄運賃、郵便料金などの公共料金は、ことごとく数カ月ごとにいっせいに値上げする。サラリーマンの給料も物価の値上がりに呼応して、数か月ごとに上がってゆく。
 逆にいうと、値上がりしないものはない。今日の値段が明日も明後日もおなじだという保証は一切ない。何日も、何週間もおなじ値段で変わらないというものもない。たまに、何か一つぐらいハイパーインフレへの反逆的な精神で、値上がりを拒否するものがあってもいいのではないか、と思ったりするが、もちろん、世の中はそう甘くなく、人々の、というか私の、そんな思惑などどこ吹く風と、ものは確実に、日々、値上がりしてゆく。
 そしてそのうち、人々は常態化したハイパーインフレに足の先から頭のてっぺんまでどっぷりと浸かり、しだいにハイパーインフレに慣れ親しみ、ハイパーインフレに麻痺し、日々何がどれほど上がっても驚かなくなった。
 どれが現実的な値段なのかわからなくなり、どんな商品のどんな値段の動きを見ても、何の違和感もなくなり、どんな値段の変化にもそれなりに納得して受け入れるようになってしまい、人々はインフレのある世が普通の世なのだと錯覚し、それが異常な世界なのだと疑問を挟む思考がなくなってゆく。
 あのころ、スーパーマーケットに行くと、いつも、どこでも、真っ昼間から恥も外聞もなく、堂々と、商品棚の前の通路にスーパーの店員が座り込んで、「マキニーニャ」と呼ばれる、片手サイズの手動式ラベル貼り機で、料金の書き換えに勤しんでいた。
 それも、ものの値上がりの速度に書き換えの速度が追い付かないのか、たいていいつも、書き換えたシールの上に、また書き換えられたシールが貼り付けられていて、ときには料金表示のシールが何枚も重ねて貼り付けられていることがある。
 買い物客は、そんななかを、まるで死刑執行を待つ死刑囚が、死刑台を造る大工の金槌の音を聴くように、料金を書き換えるカチャカチャ、カチャカチャとスーパーマーケット内にこだまする音を、葬送曲か何かのように聴きながら、商品の棚と棚とのあいだの通路をしずしずと、大型のカートを押しながら買い物をした。
 タクシーは、タクシーメーターのほかに換算表というのを持っていた。換算表には、タクシーメーターに表示される距離数ごとの料金の一覧が表示され、その料金一覧の横に、インフレ調整された料金一覧が見合いで載っていた。
 客が目的地についてタクシー代を払うときには、タクシーメーターに表示された乗車距離数とその料金を確認し、さらに換算表の料金一覧でそれを確認し、それからその横のインフレ調整されたその時点での支払い料金を確認して払う。ところが、この換算表がしょっちゅう改定された。
 サラリーマンの毎日の昼食代も、夜の飲食代も、小刻みに値上がりしてゆく。だから、飲食するときには、はじめにその日の飲食物の料金をメニューで確認し、それからオーダーをする。そうしないで「このあいだ上げたばかりだから、今日はいいだろう」などと甘く考えて、気軽にメニューを見ないでオーダーなどすると大変だ。
 飲み食いしたあとの支払いのときに、びっくりするような請求書を突き付けられることがあり、そんなことで、客と店とのあいだで言い合いのトラブルになることがある。とくにブラジル人の口うるさい客だったりすると、大声で怒鳴り合いになり、たまに、双方がなかなか譲らなかったりすると、喧嘩になったりすることもある。
 インフレなのだから当たり前のことなのだが、ガソリン代も駐車場料金も駐車違反のときの罰金も、そのほか、もろもろの罰金や税金もインフレと一緒に値上がりして行く。あめ玉一個、ネジ一本、紙一枚も。女性の美容院代も男性の散髪代も、銀行の利子も、土地や建物などの不動産も、ホテルや空港のポーターチップもレストランのウエイターへのチップも、何でもかんでも値上がりしてゆき、なかでも薬の値上がりは年金生活者を悩ませた。

1980年代から90年代までの月間インフレ率と経済プラン(Bageense, via Wikimedia Commons)

 インフレの世には、アトラベッサドールと呼ばれる、買占め屋が横行した。彼らは、特定の物品を買い占め、買い占めた物をしばらく隠匿し、値段を釣り上げて、儲けようとするよからぬ者たちだ。そんな買占め屋のために、乳幼児用の粉ミルクが店頭から消えてしまい、育児に困り果てた母親も多くいた。
 ブラジルではご飯を炊くときには、はじめに生米を食用油で炒め、それから少しずつ水を加えて炊くのだが、この食用油が巷から消えてしまい、ご飯が炊けないと主婦を困らせ、社会問題になったこともある。
 庶民は自己防衛をする。サラリーマンの給料は、たいてい月はじめから十日ぐらいまでのあいだに出るのだが。インフレの世のサラリーマンは、給料をもらうと、給料がインフレで目減りする前にと、さっそくスーパーマーケットに行って、ひと月分の食料や日用必需品を買い込む。だから、月はじめから十日間ほどのスーパーは、いつも買い物客で混みあい、どこのスーパーもごった返す。
 人々は大型の買い物カート一台では足りなくて、二台も、ときには家族ずれが三台ものカートを繋いで買い物をしたりする。月はじめにもらう給料が、インフレで月末には大きく目減りをしているのだから、誰もが、とにかく手元の金が目減りしないうちに、買えるだけのものを買って、使えるだけの金を使ってしまおうとする。
 そんな混雑の解消と、大量に商品を購入する客たちのニーズに合わせて、スーパーも大型化して行き、スーパーより大きい、ハイパーマーケットというのが出現してきたりした。(つづく)

最新記事