小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=11

「バカもの。飯に砂糖などかけて食べられるか。常識のないアマめが」
 田倉は気に入らないことがあると直ぐに、《バカ野郎》を連発する癖があった。彼女たちは田倉に向かって両手を広げ、肩を持ち上げて解りません、といった表情で笑っている。
 母のはぎは、脂気のないバサバサした髪の毛をかきあげながら、
「これでいいわ。砂糖水を作って稔に飲ませる。水だけ飲んでいても二、三〇日間ぐらいは生きられるそうだから」
 と、生きることを諦めたような声を出した。
 
馬車に揺られて
 
 すっかり夜になっていた。雲が垂れ込めていて星は見えない。味気ない夕食を済ませた二家族は、夕方に耕地の支配人から点呼を受けた事務所の前で待たされた。
 雨上がりの夜なので肌寒い。これから分耕地まで何キロの道程なのか、そこはどんな土地で、住宅はあるのか、まるで見当がつかない。疲労の上に不安が重なって生きた心地がしなかった。遠くの闇の奥から、車輪のきしむ音が近づいてきた。
「オーウ」
 という男の声がした。止まったのは幌のない四頭立ての馬車だった。続いてもう一台が現われた。この馬車に乗れということらしい。トラックで運ばれてさえ閉口したのに、今度は馬車である。どこまで落ちるのか解ったものでない。
 田倉の家族はその荷馬車に乗った。八代家は別の一台に乗った。十二人家族なので大変窮屈に見えたが、行く先が別かもしれないし、こちらに分乗しなさいとも言えなかった。
 昼の間、トラックできた道路より悪路ぶりで、馬車の振動が激しく、油の切れた車輪は、絶えず悲鳴に似た音をたてた。道の両側はコーヒー園で、道を覆って伸びたコーヒーの枝は車輪に弾かれ、がりがりと音をたて、時々頭上に被さってくる。その枝に黒い豆が鈴生りになって、茶屑の乾いたようなコーヒーの実独特の薫が漂っている。
 灌木のトンネルを進む小一時間が過ぎた。コーヒー園の尽きたところは小川が流れていた。橋のないせせらぎを渡ると地形は登り坂となる。急に馬車の速度が鈍る。馭者は鞭を鳴らしてロバを励ます。荷物は、六人の家族と馭者を含めるとかなりの重量だ。ロバは喘ぎながら一歩一歩、大地を踏みしめて歩む。馭者は容赦なくロバの臀部に鞭を打つ。見ていて憐れになるが、一刻も早く目的地に着いてくれないと、揺り殺されそうで、家族は疲労困憊していた。

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