連載小説=自分史「たんぽぽ」=黒木 慧=第151話・終

 最後にこの本の出版に際し、妻美佐子、子供たちに大変お世話になった。心から感謝している。
    二〇一四年七月

 履 歴 書         黒木 慧

一九三四年十月二十九日 宮崎県日向市大字日知屋に生まれる
一九五五年三月十五日 日向市富島農業高校卒業
一九五五年九月十五日 コチア産業組合呼寄せ単独青年移民として渡伯(二十才)
一九五九年九月八日 黒木美佐子と結婚 サンロッケ市ソロカミリン区
一九五九年九月 四年間の労務契約を終えて、バタタ(ジャガイモ)作りで独立
一九六五年六月 現在地に土地を買って移転 バタタ作りで常時十~十五人の従業員を雇っていた
一九七一年二月 フランゴ養鶏を始めた
一九七八年八月 電照菊栽培を始めた
一九八〇年二月 バタタ作りと養鶏を全部止めて、花作り一本にする
一九九一年四月 コチア地方花卉生産者協会の会長に就任と共に、花卉生産者中央会の理事に就任
一九九二年二月 宮崎県人会の理事に就任
一九九四年八月 サンロッケ市ブラジタールに於いて、花祭り開催、花EXPOの責任者として協力した
一九九五年二月 コチア青年連絡協議会の理事に選任される
二〇〇〇年八月 葉野菜の水耕栽培(hydroponia)を始めた
二〇〇一年八月 すべての農業を息子の悟にゆずり、退職
        嫁はサンロッケ市の中央でMISUE FLORES店を経営
二〇〇一年二月 宮崎県人会副会長
二〇〇四年二月 コチア青年連絡協議会副会長
二〇〇五年九月 コチア青年渡伯五十周年記念式典でサンロッケ市との交渉など世話を取り仕切った
二〇〇九年二月 ブラジル宮崎県人会の会長に就任
        コチア青年連絡協議会の相談役
二〇一一年二月 ブラジル宮崎県人会の相談役に就任
二〇一一年十月 「サンパウロ抒情歌の集い」を立ち上げる。
現在に至る

※ 現在(二〇一四年) 慧七十九才、美佐子七十五才、子供四人、孫十人、ひ孫一人
  渡伯以来、五十八年間、サンロッケ市ソロカミリン区に在住

最新記事