連載小説=自分史「たんぽぽ」=黒木 慧=第123話

・八月 弟三美(七十一才)が日本横浜で急死、彼の妻、美智子さん、それに美保、さやか、たかしの一男二女の子供がいた。美智子さんの説明によると、その前の晩は元気そうにしていたのに、翌朝いつもの時間に起きて来ないので部屋に呼びに行ったら安らかに死んでいたとか。余り苦しんだ様子もなく、多分色々な合併症だったのではとの話である。川崎在の絵理子が私達の代理で法事に参列した。私達はその年の十一月訪日の折に墓参した。これで私達八人兄弟姉妹のうち半数の四人が亡くなった。長女の純子、長男の知足、三番目の姉弥栄香、そして弟三美である。まだ残っているのは日本に二人、次姉の信代と末っ子の七海。そしてブラジルに次男の慧と四男の己知治である。残されたもの健康に気をつけて少しでも長生きに努めねばと思っている。
・八月十日 慧(七十四才)と美佐子(七十才)の金婚祝い、子供達やその伴侶達の発案でチジュッコ・プレットのシャーカラ・Bassoに於いて百人余の招待者で祝ってもらった。甥子の大介君の名司会、十人の孫と一人ひ孫が前に並んで〈世界に一つだけの花〉を合唱した。私から美佐子に五十年のご苦労を表彰状にして贈呈した。私達人生の最高の幸せを感じた一日であった。
・八月十六日 美佐子の渡伯五十周年アルゼンチナ丸同船者会が群馬県人会で開かれた。
・八月二十日 県人会六〇周年先発隊(徳永さん達)到着。
・八月二十二日 知事ご一行到着。
・八月二十三日 ブラジル宮崎県人会創立六〇周年、県人移住九五周年式典開催。
 北海道協会大サロン会場 母県宮崎から東国原英夫知事、中村幸一県議会議長、津村重光宮崎市長など、三十一名の慶祝使節が来伯。大部一秋、栄子総領事ご夫妻主催晩餐会にも招待され、本番の六〇周年式典には六〇〇名余の参加を得て、進行もスムーズに運び、盛大で大成功であった。

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