連載小説=自分史「たんぽぽ」=黒木 慧=第122話

・二月一日 宮崎県人会総会で私、黒木慧が第十一代会長に選ばれた。前長友会長が続投を望んでいたが皆の意見で失脚した。今年は県人会六〇周年の祝典を控えて最初から大きな試練の年となる。
・二月一七日 イペーバの本田ロック工場(一政社長)訪問。同社重役は皆宮崎県人。
・二月十九日 国府猛ビクトル(パラナ)、氏家松宮マサト・ヘンリ(パラグアイ)。農業研修生帰伯。
・三月五日 大岩根晃・増田裕輔研修生離伯。
・三月二十一日 甲藤パトリシア幸と桐野リカルド彰留 学生帰伯。
・三月二十三日 吉加江六〇周年実行委員長の企画が多すぎて仕事がもたもたと渉らない。
・三月三十一日 古川信夫国士舘マレット・ゴルフ会長がパウリスタ・スポーツ賞受賞。
・四月八日 谷エレウザ茜、国府ジョーナス修一留学生出発。
・四月十九日 今里エジソン、恵美家族がサンパウロ市セナ・マヅレイラの新しいアパートに引っ越した。広々としたスペース、豪華な雰囲気、十六階のベランダから下に拡がるイビラプエラの森やパウリスタ方面のビル群の眺めはすばらしい。
・四月二十四日 大部一秋総領事よりコチア青年有志が公邸での夕食に招待された。
・五月十二日 県人会六〇周年祭の寄付願いキャンペン旅行開始、北パラナ、バストス、マリリア、サン・ミゲル・アルカンジョ、ソロカバ、ピエダーデ、イビウナ、聖北のモジ・ミリン、イトビー、ポウゾ・アレグレ、カンブイ、アチバイア、サンジョゼ、モジ、スサノ、そしてサンパウロ市内の県人を廻り、皆心良く応対。
・六月十六日 宮崎の東国原英夫知事が衆議選に出馬するとかしないとかで、六〇年祭参加が疑問視され、関係者をひやひやさせる。
・六月二十一日 県連主催の第一回県人会対抗マレットゴルフ大会で宮崎は第二位入賞。
・七月五日 国士舘桜祭りのコチア青年売店の責任者は黒木から羽鳥に替わる。
・七月十七日 日本より私達の末っ子、絵理子、遥、翔の親子三人が六年ぶり私達夫婦の金婚を祝ってあげようと訪伯。ふるさと帰り夫慶は八月七日。
・七月十九日 県連主催の日本祭りに一七万人の人出あり。
・八月二日 カウカイア、カラオケ大会で悟、茜、成人の親子三人揃って優勝。

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