連載小説=自分史「たんぽぽ」=黒木 慧=第102話

 サントリーもその持ち株をビンニョ・カエテに売り、手を引いてしまった。その頃、サンロッケ市のブドウ酒産業も、新しく台頭して来たリオ・グランデ・ド・スール州の安くて質の良いブドウ産地に競争に負けて急激に衰退していった。ビンニョ・カエテもリオ・グランデに原料確保の拠点を持って頑張っていた期間もあり、またビーニョ以外の清涼飲料の製造を手がけて今日まで続いているようだ。それでも森田社長は金のやりくりに頑張ったようだけど、万策つきて仲間の金を借りたりして急場をしのいでいたけど、結局すべてが支払不能になり、仲間に多大な迷惑をかけ、信用を失ってしまった。また会社とは別に自分のシチオ(実家)で肉用鶏の飼育を行っていて、その飼料代金も不払いになり、バルゼン・グランデの飼料工場まで資金調達の危機に立たされた事もあった。この様に、森田武男は八方ふさがりになっても、それなりの釈明なりお詫びなりして自分の罪を認め、改善を約すことでもあれば、まだ情状酌量で皆の同情と支援もあったであろうけど、ほとんど逃げ隠れの状態で日系社会から身を隠している状態だ。私共に対しても何の相談もない。
 そこで話しを前に戻る。秋山パウロ君は高知県出身のコチア青年で、その奥さんのさち子さんが前出の森田武男の姉に当たると言うことで、森田家としては気が気ではない位心配していたわけである。森田正之、千代子夫妻には、さち子、けい子、武男と二女一男の子供がいて、さち子さんが秋山君と結婚して秋山君は中継ぎ養子と言うような形で、武男が成人するまで働いていた。
 その後、秋山君もカングエーラの自分の土地で独立すると、森田の養鶏場は武男の経営で、母の千代子さんと次女のけい子さんが飼育、出荷を担当して長い間働いていた。そして経営が急激に悪化する頃に千代子は亡くなり、けい子は皆の助言も聞き入れず近くに小さな土地を買い、小さな家を建てて住んでいる。武男からは何の援助も受けずに、今では姉弟不信の間で、もちろん交流もない。
・四月十六日 占い師の三浦さんに家の今後のこと、悟の仕事や店のことなど、助言してもらった。三浦さんはテレパシーで何でも良くみえるそうである。
・五月十六日から六月十七日までの一ヵ月余り、第六回目の訪日の旅に出た。この旅には二つの大きな目的があった。その一つは美佐子が六十五才の定年になったので、日本で受給する国民年金を宮崎銀行の日向支店に振込み用の口座開設である。もう一つは来年八月に行われる宮崎県人会創立五十五周年式典への招待状を母県宮崎の各関係者に渡して歩くことであった。

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