連載小説=自分史「たんぽぽ」=黒木 慧=第55話

 一九八〇年三月十三日、夜の十二時発、ニューヨークからアンカレッジ経由、三十時間後に眼下右手に日本の海岸が現れた。それに沿って南下、次第に高度が低くなって来ると、軟らかな春の陽ざしに輝く日本の田園が眼下に拡がっていた。いつのまにか涙が湧いてきた。
 ゴォーと言う車輪が地面に接する音がして、滑走のあと飛行機が停止した。乗客の間に拍手が起こった。その頃は無事に飛行を終えた時は、皆でその無事を感謝する気持ちで拍手を送るのが常であった。一九八〇年三月十五日 朝八時三分であった。
 重いトランクを引きずりながら、入国検査を済ませ、待合ロビーに出ると、私のすぐ上の姉、弥栄香と弟、三美が出迎えてくれた。弟三美は仕事の都合でそこで別れ、弥栄香姉の格好いい車に荷物を積み、姉の運転で千葉市郊外の小倉台七丁目一の十一の彼女の家に着いた。夫君の大近谷英世さんを招介された。彼は近くの高等学校の理科の教諭である。そこに同じ千葉県に住んでいる、上から二番目の姉、信代がやって来た。
私が日本を発つ前に、東京の彼女達のアパートに厄介になってから二十五年。その間の出来事を色々と話に花を咲かせているうちに、次の約束の時間がやってきた。
・三月十五日の十二時三十分、美佐子の三番目の姉、藤本裕子とその夫、信行の長男、一(はじめ)君 と本間若枝さん(共に警官)の結婚披露宴への出席であった。場所は宮城前の半蔵門会館である。そこで多くの皆さんとのご対面。特に美佐子は二十一年ぶりに母、政子、そして兄姉、いとこ達との再会、感激に涙して抱き合って喜んでいた。私はその皆さんとは初対面である。
私達二人は人形みたいに美佐子は着物、私はモーニングを着せられ会場へ、挙式は神式、同じ場で披露宴へと続く。適切な進行とその盛り上がりに加え、特別出演の美佐子の体験発表はその雰囲気を最高潮に盛り上げた。その夜は近くの全国市町村議員会館に泊まった。
・三月十六日は日曜日、目覚めと共に又昨夜の続き、故郷の人々の事など、時を忘れて語り合う。九時三十分過ぎ、二台の車に分乗、東京見物をして、日光観光へと出発。靖国神社、宮城を参拝し記念写真撮影、国会議事堂、警視庁や中央諸官庁街を見学後、車を一台にして、日光へと向かう。栃木県日光、中禅寺湖を見下ろす、静かな温泉郷、標高一八〇〇㍍、雪どけ水をたたえた湖、最高の設備。その夜は湯につかり、十時まで話は尽きず、感激、爆笑、時を忘れて話す。この旅の同行者は運転手の藤本さんとその弟の幸四郎、それに生まれて始めての東京見物の美佐子の二番目の姉の鉄子。そして政子の母さんであった。

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